Working-Hard-vs-Working

 世界中の誰もが余裕ある人生を送り、豊かさを享受したいと考えているはずです。今年は2010年代の最後の年ですが、この10年間、世界の人々は、より豊かになったのかという問いは難しい質問です。確かに先進国では、数字の上では実質労働時間は20年、30年前よりは減っているように見えますが、その一方で、発展に取り残された人々の存在もクローズアップされました。

 英国でブレグジットが具体化する流れの中、マンチェスターなど労働者の多い町では、総選挙で大勝した保守党への期待が膨らんでいることが報じられています。「今までがひどすぎた。今後は良くなるだろう」というわけです。中には長年、労働党支持者だった日本の自動車メーカーの製造現場で働く男性が「自国第1主義のトランプ政権を見て保守党支持を決めた」という声もあるくらいです。

 グローバリズムで拡がった格差は、かつての18世紀、19世紀の産業革命同様、1部のITや金融エリートたちが短期間で超豊かな生活を手にした一方、製造業や第1次産業を支えてきた純朴な人々は時代の変化には対応できず、取り残されてきました。

 新興国や途上国に仕事を奪われ、その新興国も、より安い労働力を提供できる国に外資が移動する不安を抱えています。夢見心地の理想主義のグローバリズムは、その恩恵にあずかれない人々の悲鳴と共に2010年代後半、トランプ政権登場に象徴されるように国益最優先主義に傾いていきました。

 トランプ氏のアメリカ第1主義は厳しい批判に晒されながらも、予想に反して3年間は好調な経済を続けてきました。英国の総選挙に象徴されるよう2010年の終わりは、古びた社会主義が終焉する時代だったともいえます。無論、独裁国家の台頭は今後の大きな課題ですが。

 多国間主義で自由市場経済を信奉するリベラル派の旗色は悪く、自国民を犠牲にするようなグローバリズムを容認する意見はマイノリティーになりつつあります。途上国の人々に劣悪な環境で長時間労働を強いる先進国の外資系企業の自己中心のあり方が批判され、検証が求められています。

 結局、余裕ある人生を送り、豊かさを享受する人間は1部に限られ、過重労働のストレスから体調を崩したり、自殺する人までいる有り様です。教育やキャリアを詰めない人間は成長著しいベトナムでさえ、英国へ不法就労に向かうトラックの中で死ぬ運命が待っていたということです。

 実は、余裕の追求では世界1といわれるフランスでも、マクロン大統領から「フランス人はもっと働くべきだ」といわれるまでもなく、過去30年の中で最も働いているといわれています。私がフランスに住み始めた約30年前、「休みの合間に働く」というジョークがあったほど働かず、その極めは週労働35時間制の導入でした。

 しかし、誰が考えても日本よりはるかに手厚い社会保障を行う国で、いったいどこからお金は来るのかといわざるを得ない状況でした。結果的に財政赤字は膨らみ、より短く働き、より多くの報酬を得るという生産性向上には重要な原動力ですが、そうはいかず、今では一生懸命働くしかないと考えるフランス人が大半を占めるようになりました。

 マクロン政権は、42もある職種別の年金制度を1本化し、職種ごとに労組が勝ち取った既得権益を切り崩そうとしています。石炭で汽車が走っていた時代に勝ち取った運転手の50歳定年など、ハイテク時代には説得力のない定年制を変えようというわけです。

 今は労組が激しく抵抗していますが、同じようなストライキを実施した1995年とは、国民の意識は大きく変わっています。フランス人でさえ、働かなければ豊かな生活はできないという考えに変化しているわけです。

 結局、2010年代は先進国でも途上国でも多忙さが増した10年だったといえそうです。ただ、その原動力が拝金主義にあるのも確かです。私は2020年代は拝金主義の間違いに気づく10年になって欲しいと思っています。

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