安部雅延のグローバルワークス Masanobu Abe Global Works

国際ジャーナリスト、グローバル人材育成のプロが体験を踏まえ現在の世界を読み解きグローバルに働く人、これから働く人に必要な知識とスキルを提供。

フリーの国際ジャーナリストで、フランスのビジネススクールで長年教鞭を取り、日産自動車始め多数の大手企業でグローバル人材育成を担当した安部雅延が、国際情勢やグローバルビジネスの最前線を紹介し、豊富な経験を踏まえた独自の視点で世界を読み解くグローバルトーク。

フランスの国立統計経済研究所(INSEE)が、最近発表したデータによると、フランス人は男女共に欧州で最もスリムということだそうです。ワインと食文化で知られるフランスだけに不思議な結果とも思われがちですが、最近のフランス人の健康への関心の高さを見れば、うなづける結果とも言えます。

 

今やフランスでは、自然食、健康食を売る店が乱立し、パリ14区のアレジアからダンフェール・ロシュリュにかけてのジェネラル・ルクレール通りだけでも、十数メートルに一軒の割合で自然食の店が並んでいます。スーパーでは、BIOと呼ばれる健康食品コーナーが拡がる一方です。

 

食事といえば、低カロリーで知られる日本食も人気が高く、パリには5百軒以上の日本料理屋があり、完全に市民権を得ています。また、ジムやスポーツクラブに通うフランス人も多く、仕事の寸暇を惜しんで、ジムで汗を流すフランス人の友人も少なくありません。

 

欧州では、スリムなフランス人女性の対局にいるのが、英国人女性です。フランスと英国の顕著な違いは、英国のファーストフード店の多さです。フィッシュ・アンド・チップスに限らず、ハンバーガー、ピザ、フライドチキンなど、ありとあらゆるジャンク・フード店のオンパレードです。

 

もともと、栄養的にバランスのとれたフランス料理と、英国料理(?)の違いもありますが、調査の数字からも英国女性の肥満度は深刻と言えそうです。それとフランス人女性は、日本人女性に次ぐ世界第二位の長寿です。特にオリーブオイルと魚介類の豊富な南仏は長寿で知られています。

日本には、欧米にはない新入社員教育という独特な習慣があります。二十数年前に韓国のサムスンの取材で訪れた韓国でも、過激な新入社員研修や幹部研修を目撃しました。早朝4時起床、零下二十度の極寒の中、国歌と社歌を歌い、10キロのマラソンをしていました。

 

日本では、相変わらず、精神修養に近い新人研修を行う企業が多いようです。大声で挨拶させてみたり、講師が研修生のミスに檄を飛ばしたり、極限状況に追い込む研修も少なくないようです。確かに生ぬるい学生生活を終え、社会人として激務に耐えるための研修は必要かもしれません。

 

しかし、そんな精神修養的新人研修を行わない欧米企業が、経営的に日本より劣っているとは言えないことにも、疑問を感じます。終身雇用や年功序列が企業慣習から消え去ろうとしている今、過去同様の愛社精神や会社への献身的な忠誠心、しもべ精神を社員に強要するには、無理があります。

 

日本のこの大きな変化は、日本も欧米並みの普通の国になったということでしょう。個人が転職しながらキャリアを積み、企業も個人の能力に給与を支払うという関係に変化しているのでしょうが、現実には国も企業経営者も、頭が切り替わっていないのが実情でしょう。

 

教育界も個人でキャリアを磨く逞しさを身につける教育はしておらず、企業側も相も変わらず、「わが社のやり方」ばかりを強調し、個人個人の能力を引き出す指導は不足しているように見えます。精神修養の新人研修も必要でしょうが、欧米のようにエグゼクティブ以上の研修にもっと力を入れる時代が来ているように思います。

 

中間管理職以上の教育は、専門知識と同時に判断力や決断力が問われるわけですが、これからは本人の職歴、キャリアの積み方が重要になってくるでしょう。それに新人研修で企業の有能な兵隊を養成しようなどという考えそのものも再考が必要な時代でしょう。

フランスといえば、カトリックの国、人が亡くなったらお棺に入れ、土葬にするのが当たり前というのが一般的なイメージです。ところが近年、火葬にするフランス人も増えていて、その骨を親族に配り、家に保管するという人も少なくないようです。

 

人間の死をどう扱うかは、その国の人びとの宗教観や人生観を最も深く表したものといえます。昔、新潮45という雑誌で「死ぬための生き方」という特集が組まれ、著名人たちの死生観が書かれていましたが、日本人の人生観そのものが表れていて興味深く読んだことがあります。

 

フランスでも人が死ねば葬儀屋に頼み、葬儀には約30万円〜80万円程度掛かると言われています。日本に比べれば圧倒的に安価ですが、その理由は、墓地が全て自治体によって管理され、人間に共通する死という事象については、福利厚生的カテゴリーとして扱われているからです。

 

無論、土葬の場合、贅沢なお棺にしたいとか、葬儀の後の食事会を豪華にやりたいというのは自由ですが、出産、結婚、死は、人間らしい人生を送ることを保障する国の責任ですから、国がある程度、金銭的に公平さを与えているわけです。

 

火葬は、カトリックが認めていないということもなく、親族がミサを頼めば、火葬でも神父さんは行ってくれます。また、私のフランス人の義父は、死んだ時に医学の発展のために行う解剖に献体することを決めていて、登録しています。彼は熱心なカトリック教徒で、毎年、ルルドにボランティアで行っています。

 

永遠の世界は信じていても、死後の世界に東洋的な霊界のような概念を持たないカトリックでは、お墓も代々管理していくという観念が年々、薄まっています。墓地では、永代供養もありますが、10年とか30年という期限付のお墓も多く、期限が来れば、無縁仏のような場所に移されるケースもあります。

エスプレッソの国イタリアですが、スタバのエスプレッソをイタリア人はどう思っているのでしょうか。何でもそうですが、食べ物も飲み物も、やはり、生まれた場所で味わうのが一番です。エスプレッソであれば、イタリアの硬質の水も重要な要素ですし、イタリア料理を食べた後のエスプレッソは格別です。小さなカップをちびちびすすりながら、長話をするイタリア人の姿は、ヨーロッパの豊かさの象徴の一つにようにも見えます。

 南仏の軍港としても知られるトゥーロンの大学で、中国人留学生が45年にわたり、お金で学士や修士号を取得していた疑惑が浮上し、捜査が開始されています。実は私が十数年間教えてきたブルターニュ地方の大学でも、40人程度の中国人を約10年前から受け入れていました。

 

 身近な話で驚きを隠せませんが、16日付の仏ル・モンド紙によると、トゥーロン大学企業経営学院の校長は、検察の取り調べに対して、今年初めに中国人学生の代表から「10万ユーロ(約1300万円)払うから、約60人の中国人留学生に大学の学位を出してほしい」との話を持ちかけられたことを認めています。

 

これまで学位の値段は、一枚あたり約35万円前後で取引されていたという話もあります。まったくひどい話ですが、背景には、フランスで学位を取るのは容易でないことやフランス語の壁もあるわけで、想像できない話でもありません。ただ、私が知る中国人留学生は皆、非常に勉強熱心です。

 

強いて言えば、傲慢な学生も少なくなく、損得勘定が日本人以上と感じることもあります。ただ、今回の問題は贈収賄の可能性が高く、金を受け取った側の罪も重大です。それも1校や2校にとどまらないようなので、どこまで汚職が拡がっていたのか、何人の大学関係者が関与したのか注目を集めています。

 

サルコジ大統領がダライ・ラマと会見して冷え込んだ中仏関係が、せっかく修復に向かっている今、またしても難題発生です。英米の大学と比べられない安価な学費で学位が取れるフランスですが、金で学位を買う行為が組織的に行われ、それに応じていた大学があるすれば、両国の恥にもなる話です。

 日本の少子化問題は、日本の将来にとって、深刻なダメージを与えそうですが、日本政府の対策は、育児手当の増額など、いつも絆創膏的な、その場しのぎの政策が多いようです。少子化対策では、出生率が1・9人から2人を超えそうなフランスが話題になりますが、根本的には何も理解されていないように思います。

 

 少子化対策は、本質的に人口対策という国策の中心軸の一つのはずです。日本民族が数百年後に消滅していいという考えなら、今のままでいいのでしょうが、日本人をマジョリティとして構成される日本国を維持したいのなら、このままでいいはずがありません。

 

 フランスの高出生率の背景は、一言で言えば、複合的できめの細かい支援が、人口対策というしっかりとした糸で編まれているということでしょう。子供が成人するまでの手厚い家族手当、住宅手当、ヴァカンス手当、引っ越し手当、育児に対するきめ細かなサポート体制、雇用制度に組み込まれた育児休暇の保証など、収入によるもの、よらないものを含め、その数は非常に多くあります。

 

 それに加えて大きいのが教育費で、大学まで授業料を無料化していることです。5人の子供をフランスと日本で育てた経験のある私としては、多分、この教育費ほど少子化に影響しているものはないのではないかと思うほどです。

 

 私は以前から日本の教育は、構造的に歪んでいると見ています。その中心をなすのが塾や予備校の存在です。公教育は無料化するだけでなく、高い質を提供できるかどうかが鍵です。公教育は低レベル、あるいは都立高校のように進学教育放棄ということが、塾や予備校を栄えさせています。

 

 国民は教育のために税金を払いながら、よりよい教育を受けるには、金が必要という現実は非常にいびつです。教育分野にも健全な競争は必要ですが、資本主義の単純な導入で国民に不平等観を与えることは許されないことです。教育改革が進まないのは日教組の問題と同時に塾、予備校の利権が指摘されるべきと私は思っています。

 

 たとえば、他の先進国が大学の入学よりも出口である卒業時の学位を与えることに厳しくしているのに対して、何度指摘されても現入学試験制度を変えないのは、やはり予備校の抵抗が強いからでしょう。本来、税金で賄える学校の機能の多くが塾や予備校に流れていることが、最終的には「教育は金がかかる」ということで少子化に繋がっているのだと思います。

 

 どんな貧困家庭でも、子供を少なくとも大学まで出すことができる。あるいは専門技能を身につけさせることができるというのが、国の資産になるという考えが欠落しています。不況に陥った今、時代状況の変化を理解し、私は教育の大学までの無料化と質向上を実現すれば、大きな景気対策になると思っています。

 ロンドン市内にある日系不動産に駆け込んだ英国人のキャサリンさんは、受付のカウンターに座っている女性に「すみません。家を探しているのですが、急いでいるので物件のリストを見せてくれませんか」といいました。するとカウンターの女性は「今、五分以内に片づけなければいけない仕事がありますので」と答えました。

 

 キャサリンは「では、待ちますから」というと、「この仕事が終わったら、私は帰宅します。買い物に行く予定もありますから」との答えが返ってきました。すると、キャサリンさんは「それでは仕方ないわ。」と答え、あきらめて事務所を出ました。

 

 この会話を聞いていた上司の日本人のAさんは内心、「なんという対応なんだ。これでお客を一人逃したじゃないか」と腹立たしく思いました。同時に「あの客は、なんで簡単にあきらめてしまったのだろうか」と思いました。こんな不思議な出来事に何度も遭遇してきたAさんは、社員教育に頭を痛めていました。

 

 確かに英国でも、ドイツでも、フランスでも、「お客様は神様です」という言葉はよく耳にします。しかし、その神様に対する態度は日本人とは相当違うことを実感します。日本人はどちらかといえば、神様であるお客様の前で従順なしもべに徹しようとしますが、西洋人は、けっこう堂々と自分を主張します。

 

 たとえば、前出の受付の不動産アドバイザーは、「自分のこなすべき仕事をしているので、客への対応は今、できない」と言っています。それを客に理解させようとし、結構、客も個人の事情を尊重する姿勢を見せています。皆が主人意識を持っていて、余程自分の心が動かないかぎりは、けっして自分を犠牲にしてまで人のために生きようとはしません。

 

 自分を尊重してほしいので、相手も尊重するという態度は西洋では不動に見えます。たとえば、「飲み物を飲みたいですか」と聞かれ、「お構いなく」(欧米では、「お邪魔したくないので」とでも言うのでしょうか)というと、相手の返事を尊重する欧米では飲み物は出てきません。日本ではそれでも飲み物が出てきます。どちらも相手を気づかっているのですが、結果は逆です。

 

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 欧州連合と言えば、キリスト教クラブと揶揄されるように、加盟国の多くがキリスト教文化圏に属しています。この数年、旧共産圏の中・東欧諸国が加盟しましたが、元はといえば、キリスト教の背景を持った国々です。ところが近年、欧州でのキリスト教は衰退する一方で、それと同時に社会的モラルの低下を危惧する声も上がっています。

 15年前、ヴァチカンの新興宗教研究所のイントロベーニェ氏にインタビューしたことがあります。彼の調査では、カトリック圏で日曜用礼拝に毎週通っている人は、スペイン、アイルランド、スコットランドで人口の3割、イタリアで25%、カトリックの長女と言われたフランスで16%でした。

 それが昨年夏の調査で、それぞれ3割減という驚くべき数字が出ています。特にフランスは8%と半減しています。これは事実だと思います。カトリックの最も強いブルターニュ地方でさえ、30年前は小さな村の教会に神父は3人以上いたのが、今では、一人の神父が5つ前後の教会を掛け持ちしているありさまです。

 婚前交渉、同性愛、避妊具等の禁止で、原則を貫こうとするヴァチカンに対して、時代とのズレが大きすぎて、カトリック離れが加速しているとの批判もあります。ただ、最近では宗教の効用も指摘されています。たとえばフランスにはカトリック教会が運営するエコール・リーブル(自由学校)と呼ばれる私立学校が存在しますが、今、再評価されています。

 左翼のミッテラン政権時代にエコール・リーブルへの国の予算が極端に減らされ、次々に姿を消したエコール・リーブルですが、最近の若者の荒廃、学校での暴力事件の増加などから、エコール・リーブルに子供を通わせる親が急増中です。国民の高いモラルをどのように保つべきなのか、その国の伝統精神の存在の大きさを指摘する人も増えているようです。


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  ヴァンデの反乱 c Coll. Musee d'Art et d'Histoire de Cholet - Cliche Studio Golder, Cholet

 日本では、一般的にフランス革命は王侯貴族に横暴な圧政に対抗して革命が起こり、自由、平等、博愛の精神が、フランスに生まれたような単純なイメージを持つ人も少なくないようです。ですが、フランスでは、未だにフランス革命を蛮行とする王党派(ロワイヤリスト)がいるくらい、疑問を持つ人もいます。

 自動車の二十四時間耐久レースで知られるパリ西方約120キロにあるル・マン市の公園で先月末、フランス革命で虐殺された反革命派の人びとの遺体約30体が衣服を着たままの状態で発見されました。その中には、女性や子供も含まれていたそうです。

 フランス革命に最後まで抵抗したフランス西部は、最も熱心なカトリック教徒がいることで知られています。ブルターニュでは今でも、懺悔の行進祭「パルドン祭」が毎年行われ、伝統的カトリックの慣習が強く残っている地域です。

 ル・マンから西方のブルターニュ地方やヴァンデでは、王制を支持する熱心なカトリック教徒が革命軍に激しく抵抗し、想像を絶する大量虐殺の犠牲の血が流された歴史が残っています。一般的に「ヴァンデの悲劇」と言われているもので、フランス革命の恥部とも言われています。

 革命派は王侯貴族だけでなく、権力に近いという理由で、カトリック聖職者を追放、虐殺し、教会を破壞しました。彼らの残忍さは想像を絶するもので、革命に反対する者を根絶やしにするため、女、子供も虐殺した記録が残されています。

 それはヴァンデの戦いとして映画や舞台にもなりました。ヴァンデでは毎年、市民が役者に扮する大スペクタクルが開催され、テーマパークもあります。フランス保守派の聖地ともいわれ、地元選出のドビリエ国民議会議員は保守派の論客です。

 今回発見された遺体は、1793年12月12日と13日に革命軍によって行われた反革命カトリック教徒の虐殺によるものと確認されたそうです。遺体は、新しい文化センターの建築現場から発見されました。ヴァンデの悲劇を知れば、革命の背後に恐ろしい人間の狂気があったことを垣間見ることができます。



フランスには高級官僚や政治家を養成する国立行政学院(ENA)という学校があります。大統領としてはシラクとジスカールデスタン、首相に至ってはシラクを含む7名がエナルク(ENAの卒業生の通称)という具合で、その他多くの国会議員や官僚、企業経営者を輩出しています。

 

エリートという言葉は、フランスから出たものですが、日産・ルノー連合のゴーン会長の出たポリテクニックなど、スーパーエリートを養成する学校が、大学とは別にフランスにはあります。通常、グラン・ゼコールと呼ばれますが、私もそのグラン・ゼコールの一つで十数年間教鞭を取りました。

 

最近、政府は、ENAの特別枠として、貧しい移民の背景を持つ優秀な若者を来年から15名ほど入学させる方針を打ち出しました。これまでENAは、「白人クラブ」と言われ、少数の有色人種の学生はいましたが、金持ちの子が多かったのも事実です。

 

今回は、北アフリカ・アラブ系移民など、大都市郊外の貧困地区出身の若者が対象で、特別枠として受け入れることになりました。政府は、移民が増え、人種が多様化するフランス社会に対応した処置としていますが、マスコミは、米国のオバマ新大統領の効果が大きいなどと指摘しています。

 

無論、このプロジェクトは、オバマ大統領誕生以前から議論されてきたものですが、アラブ系移民や黒人は、社会の上層部には行けないという社会的通念を解消したいという狙いもあるようです。アラブ系移民と言えば、2005年暮れに大暴動を起こしたことが記憶に新しいところです。

 

実は、今の大統領であるサルコジ氏は、エナルクではありません。彼自身、ハンガリー小貴族の父親を持つ移民2世で、妻のカーラ夫人もイタリア人です。フランス人は3代遡れば、3割は外国からの移民と言われ、「フランス人はラテン」というのも適当ではありません。サルコジ政権は、アフリカ系の人間を閣僚として登用し、注目されました。

 

黒人の血の入ったオバマ大統領の登場で、欧州ではマイノリティーの人権問題が注目されています。たとえば、移民排撃で知られるフランスの極右・国民戦線(FN)は、ヨーロッパ人と非ヨーロッパ人という分け方をしています。日本人は当然、非ヨーロッパ人ですが、アラブ人ほどの差別は受けていません。

 

果たして、ヨーロッパに黒人やアラブ人の大統領や首相が誕生する日が来るのでしょうか。今の時点では、誰もそんなことは考えもしていませんが、少なくとも政治家や官僚に参入する割合は確実に増えそうです。

パリ市立近代美術館で、シュルレアリスムに多大な影響を与えたジョルジョ・デ・キリコの回顧展が開催されています。20世紀初頭、20代の青年が当時の前衛的な画家や詩人たちから絶賛され、その静寂の空間の中に、バランスを欠いた遠近法で描かれた広場、そこに描かれた小さな女の子が理屈に合わない長い影を伸ばしている幻想的絵画が、デ・キリコのイメージを固めました。

 

アンドレ・ブルトン、アポリネールに絶賛された若き天才は、ギリシャ育ちのイタリア人でミュンヘンで美術を学び、ニーチェやショーペンハウエルに影響を受けたそうです。さらにはフロイトの影が作品に潜んでいて、あの時代なら、才能ある芸術家の多くが同じような影響を受けています。

 

20代に注目された作品は、デ・キリコの評価を不動にしましたが、その後の変節?は批判の対象にもなりました。通常、デ・キリコの展覧会といえば、1910年代に絞り込まれる場合が普通ですが、今回の回顧展は、彼の全生涯の作品を概観できるようになっています。

 

私は、彼がヨーロッパの中で歴史的に最も層の厚い芸術家を輩出したイタリアの出身であり、同時に当時、芸術の最先端に位置する仕事をしていたことを考えると、彼が古典的絵画や自分の作品の模写をする行為が理解できるような気がします。

 

無から有を産む創造の作業に携わる者、特に既成概念を打破する前衛の現場にいる者にとっての戦いは、それを知らない人には理解できないものがあります。確かにデ・キリコは唯物的で無神論的な領域に迷い込み、結局は普遍性を与えることはできませんでしたが、彼の苦難には同情を禁じ得ません。

 

多くの日本企業駐在員にとって、海外駐在で頭が痛いのが子供の教育です。日本に戻ってくることは確かなだけに、帰国後の進学が最も気になるところです。特に子供が中学生の場合は、その後を見極めるのは非常に困難。選択肢は日本人学校、インターナショナルスクール、あるいは現地校ということになります。

 

子供への期待の大きい親は、欧州に赴任した場合、張り切ってインターナショナルスクールに入れて、この際、英語を徹底的に学べば、帰国後に大きなメリットがあると考えます。あるいは現地校に放り込んで、異文化の中でタフにいろいろ学ばせたいという親もいます。

 

ただ、現地校やインターの場合、子供を注意深く観察し、その子供が耐えられるのか、環境を消化できる力があるのかなどを見極める必要があります。親の期待度とは相まって、不登校に陥るケースも増える一方だからです。あるいは帰国後数年立ってから、鬱病などの症状が出ることもあります。

 

子供は環境に順応しやすいように見えますが、帰国が前提の場合は、本人には非常に負担があります。順応しているように見えて、心に大きな痛手を受けることもあります。これは子供に寄りますが、特に生真面目な子供ほど、ダメージを受けやすいと言われています。私の経験からもそうです。

 

それに、たとえばフランスの例を取ると、十七歳の若者の2人に1人が、家庭環境に関係なく大麻を吸ったことがあるという恐ろしい最新調査結果が報告されています。今やフランスのみならず、欧米では未成年者にとって大麻は身近なものになっており、その入手も非常に容易になっています。

 

特にアメリカンスクールや名門現地校はひどいと言われています。裕福な家庭環境で自由になる金も多く、大麻吸引に罪悪感はありません。中学生でも経験者は少なくありません。日本の感覚でいると、自分の子供が取り返しのつかないことに巻き込まれるケースもあるのです。