安部雅延のグローバルワークス Masanobu Abe Global Works

国際ジャーナリスト、グローバル人材育成のプロが体験を踏まえ現在の世界を読み解きグローバルに働く人、これから働く人に必要な知識とスキルを提供。

フリーの国際ジャーナリストで、フランスのビジネススクールで長年教鞭を取り、日産自動車始め多数の大手企業でグローバル人材育成を担当した安部雅延が、国際情勢やグローバルビジネスの最前線を紹介し、豊富な経験を踏まえた独自の視点で世界を読み解くグローバルトーク。

  東京にある英国系企業に4年間駐在した友人が、ロンドンに戻ってきました。彼は15人の日本人の部下を持ち、営業部長をしていたそうです。赴任当時、研修を受け、日本的経営がいかなるものか学んだそうですが、それほど真剣には聞かなかったようです。

 

  なぜなら、英国人はアメリカ人に似て、自分たちの価値観を押しつける傾向を持ち、英国流のやり方でやっていくことを内心決めていたからです。その研修で、日本には「報・連・相」という日本独特な仕事の進め方があると言われ、その中身を聞いて、それは欧米でも常識化していることと思ったそうです。

 

  ところが、彼はその意味を日本人の部下から思い知らされました。それは、「指示待ち」という言葉に象徴されるように、上司の指示がないと、些細なことでも動こうとしない状況に直面したからです。部下は、事細かに自分の仕事内容を報告し、相談してくるのですが、逆に指示を出してあげないと、何も仕事が前に進まない現実があり、その対処に追われる日々だったと言っています。

 

  欧米人は、主体性や独創性、創造性を重視するので、仕事ができる人間は、必ず、自分流の仕事の進め方を主張してきます。逆に日本人は従順で、上司への忠誠心や家族意識を大切にし、上司の指示に忠実に従うことを重視し、指示がなければ動きません。

 

  友人は、日本人は勤勉で誠実に仕事をこなし、労働力として優れていることを認めている一方、主体性の欠如には閉口したと言っています。彼の場合は、英国流のやり方だけでは前に進まないことに気がつき、改めて赴任当時受けた研修のテキストを読み返し、日本文化を学び直したそうですが、それでも日本人には多くの謎の部分があると言っていました。

  時々、帰国時に講演を頼まれることがあり、ヨーロッパ人の発想の仕方が日本人とどう違うのか話してほしいと言われることがあります。そんな時、よく話すことに「人生とにかくお金という発想は強くない」という話をします。

 

  例えば、ヴァカンス一つとっても、英国人やドイツ人、フランス人は、それほど大きなお金を使っていません。南仏やスペインが長期ヴァカンス先としてポピュラーですが、交通手段は自分の車が圧倒的に多く、キャンピングカーを引っ張っていく場合もあります。それも1000キロ以上を平気で運転しています。その次が列車、飛行機です。

 

  問題は行った先で何をするかですが、多くの人々が現地でスーパーに買い物に行き、普通に貸別荘やロッジの台所で料理をし、たまにレストランに行く程度です。日本人であれば短い休暇で非日常を味わうために、料理をするなんてとんでもないという人が多いでしょうが、過ごす期間も長く、お金を使わない彼ら一般市民は、高級ホテルに泊まり、連日、レストランで食事をするわけではないのです。

 

  夏のヴァカンス時期にも、季節労働で仕事はありますが、低所得者でもそんな仕事に就くよりはヴァカンスを選びます。最近、フランスの国会で審議されている日曜営業の問題でも、日曜日に倍の日給を払うといっても働こうとする人は多くありません。貧乏でも時間や余裕を大切にしているからです。

 

  実は、この人生お金だけではないという考え方が、アメリカが牽引した経済至上主義の崩壊後のキーワードになると思われています。私は日本人の高齢者が生涯現役などといって働き続けることには反対です。そのために若者の雇用機会が奪われているとしたら、大きな問題だからです。

 

  無論、ヨーロッパにも問題は山積みですが、少なくともマネーと時間にコントロールされる人生だけは送りたくないと思っている人が少なくありません。

イスラエル軍のガザ地区への5日を超える空爆は、世界的景気後退で重苦しい年末に追い打ちをかける不快な出来事です。ユダヤ人が伝統的に多く住む欧州ですが、欧州に長く住むと、イスラエルの肩を持つのは容易なことではなくなってきます。

 

確かにユダヤ人にとって祖国イスラエルを守ろうという意識は想像を絶するほど強いものがあることは理解できます。イスラエルでパレスチナ人による自爆テロを起きれ起きるほど、欧州からイスラエルへ移住するユダヤ人が増えている事実は、彼らの祖国への思いを物語っています。

 

ですが、選民であるユダヤ人1人が殺されれば、10人、いや100人の異邦人であるパレスチナ人を殺しても構わないという論理は、どうにもいただけません。2000年前にユダヤ人の土地だったからといって、そこに長く定住してきたパレスチナ人を武力で追い出す権利は、常識では考えられない横暴なものです。

 

欧州連合(EU)は、緊急外相会議をパリで開き、即時恒久停戦を要求することで合意し、フランスは48時間の停戦を提案しましたが、イスラエルに拒否されました。人道支援物資の運び込みも困難な状況にあり、国際社会は懸念を表明していますが、イスラエル・パレスチナ双方の不信は深まる一方です。

 

ユダヤ勢力に大きく左右されてきたブッシュ政権からオバマ政権に移行しますが、中東和平はテロとの戦いを考えても、あまりにも重要な問題と言わざるを得ません。欧州では急増するアラブ移民によるユダヤ人やユダヤ施設への襲撃が懸念されています。

 

英国はもとより、ユダヤ人に負い目のあるドイツもイスラエル寄りの政策ですが、フランスなどはパレスチナへの配慮を主張しています。イスラム原理主義過激派が、テロをエスカレートさせる可能性も出てきており、年明けから世界はキナ臭くなりそうです。経済危機と重なり、問題山積みで迎える新年です。

あまり日本で知られていないフランス人のライフスタイルの一つに、自宅の部屋に時計とカレンダーを置かない習慣があります。フランス人の多くが、とにかく部屋に時計を置きたがらないし、カレンダーに至っては通常、台所にしかなく、それもドアの裏とかにあります。

 

日本では、時計もカレンダーもどの部屋でも見かけますし、冷蔵庫や洗濯機、電子レンジにまで時計がついている場合もあります。だから、日本人がフランス人の家に泊まると非常に不便に感じます。

 

フランス人が時計やカレンダーをプライベートな生活から排除している理由は、一般的に時間や日にちにコントロールされたくないからと言われています。とにかく、時間や日にちに追い立てられる生活が大嫌いなのです。それでよく会社や学校に遅刻せずに通い、ヴァカンスの計画を立てられるなと思いますが、そこはある程度、抜け目なくやっています。

 

そんな環境で生活していると、逆に日本人がいかに時間や日にちに支配された生活をしているかが分かります。悪くいえば、時間お奴隷です。当然、フランスでは時間通りに電車やバスが来ないのは日常的だし、テレビ番組だった平気でズレたりするので、予約録画が難しいという現実があります。

 

Time is money.という言葉がありますが、それはビジネスの世界でのことで、プライベートでは、人間が時間の上位にあるという考えのようです。時間で自分を追い込むということは、彼らには非常に理不尽なことになるわけです。

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◀心のレストランでは、スーパーなどの買い物帰りの人々に食料品を提供してもらっている。

 

毎年、フランスでは12月になると、生活困窮者に食料を提供する「心のレストラン」がオープンします。コメディアンの故コリューシュ氏が1985年に創設した人道援助活動で、ピエール神父が戦後、創設したホームレスに住宅を提供するエマウス運動と並び、フランスを代表する人道援助運動と言えます。

 

全国1950カ所にある心のレストランは、皮肉にも毎年、利用者を増やし、発足当初の10倍の食料が提供され、利用者数は70万人を超えると言われています。日本でも派遣切りの多発で住むところを失った人々が、焚き出しの食事に集まる姿が話題にあっていますが、フランスはカトリックの影響もある人道支援活動の歴史は年季が入っています。

 

リヨンで驚くような光景を見ました。リヨン駅のすぐそばでしたが、ホームレスの人々に食事を提供するワゴン車が停まっていて、食事を提供している場面に遭遇しました。ですが、何か違和感のある光景で、スープをお碗についで食事を提供している人は黒人で、それを受け取るために並んでいる人は、全員白人だったのです。

 

もしかしたら、スープを継いでいる黒人も、生活困窮者のボランティアだったのかもしれませんが、何か不思議な光景でした。パリの地下鉄などで、ちょっと歌を歌ったり、情報誌を売ったりして、お金を要求している人をよく見かけますが、日本人観光客は「働きもしないで」と批判的な見方をする人は少なくありません。

 

ところが問題はそれほど単純ではないのです。雇用制度と社会福祉が完全にリンクしている欧州諸国では、アルバイトや派遣など短期間の仕事が非常に少なく、簡単に仕事にありつくことはできません。働きたくても働けない人が、心のレストランを頼ったり、電車の中で物乞いしたりしている場合も少なくないのです。

 

最近聞いた話ですが、パリ郊外の駅の清掃員1人を募集したら、500人以上の求職者が集まったと言っています。現状は非常に厳しいということでしょう。

 

世界同時不況でこれから、世界的に生活困窮者が増える可能性があります。アメリカのCEOの巨額の給与に見られるような富の集中は、犯罪を急増させ、大きな社会不安をもたらす危険をはらんでいます。アメリカ人は、「金持ちが増えれば、その金持ちが贅沢をするための産業が生まれ、雇用機会は増える」と言いますが、大いに疑問です。

 

今後、世界的に経済が落ち込み、社会が荒れる可能性は大いにあります。そうならない前に、根本的に経済システムを考え直すことが必要でしょうし、自分だけ繁栄すればいいという自己中心的個人主義の人生観そのものが、やがて世界を破滅させる可能性があることをわれわれは気付くべきでしょう。

 

グローバル・マネジメントの研修で、仕事とプライベートの切り分けについて聞かれることがあります。一般的には西洋人は、その切り分けがはっきりしていて、勤務時間が終われば帰宅し、週末は家族や友人と過ごし、完全に会社とプライベートは切り離され、日本人はその区別がないと言われています。

 

もともとキリスト教徒の欧米人は、働くことは聖書で人間の堕落により、エデンの園を追い出される時に、神から罰として与えられたものなので、労働は罰であって幸福とは結びつきにくいと考えられています。働くことを重視する日本人の対局にあると言えるでしょう。

 

日本の古事記には、天照大神は機織りをしていたと書かれ、日本を創造した神は労働をしていたという説もあり、また、山本七平は、仏教では修行することで自分が成長し、磨かれるとあるので、日本人は、より投入して働くことで自分が磨かれるという信念があると言っています。つまり、労働を徳とする考えがあると言えます。

 

しかし、注意深く見ていると、働くことの嫌いな西洋人たちは、逆に労働から早く解放され、人生を楽しみたいために、いかに短い時間で生産性を上げるかに集中している傾向もあるのです。つまり、効率性や生産性を重視する背景には、彼らの人生観が大いに影響しているということです。

 

逆に人生修行の日本人は、長時間労働に慣れ、家には寝に帰るだけでもやっていける精神構造があります。そのため、短時間で生産性を上げることや効率性を高めることが重視されない傾向があります。人海戦術という言葉がありますが、いかに少ない人数で、それも短時間で高い利益を創出するかより、薄給でたくさん雇って、長時間働かせるという傾向が強いのが日本のように思われています。

 

工場などでは、器用で働き者の日本人は、短時間で生産性を上げていますが、ホワイトカラーの生産性はけっして高いとは言えません。皮肉にも労働を徳とする労働者を抱える日本の経営者は、経営が非常に楽なために、経営力が身につかないという面もあるということです。

 

この世界的経済危機の中で、またしても過労死を生むような社員の働かせ方をするのか、それとも効率性や生産性を重視し、社員に人生を楽しみ、いきいきと働くように方向転換するのか、2009年は大きな分かれ道かもしれません。私は、労働徳説の上で安穏とするより、企業は社員が人間らしく生きる喜びを持てるようにすべきだと思っています。

 

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◀ブリュッセルのグラン・プラス(筆者撮影)

 

ベルギーが金融危機で政治危機に直面しています。北部蘭語圏と南部仏語圏に大きく分かれるベルギーは昨年6月の総選挙で、両地域代表の議席が拮抗し、すでに国家分裂の危機がささやかれていました。言葉も違えば、メンタリティも違う両地域の人々が共存する小国の政治は簡単ではないようです。

 

今回、アルベール2世国王に辞表を提出したルテルム首相率いる政権は、9カ月の政治空白の末、今年3月に発足したばかりでした。その内閣が、迫り来る金融危機の中、経営危機に陥った同国最大手銀行フォルティスの再建計画にからみ、司法に圧力をかけた疑惑で総辞職に追い込まれ、またも政治危機に陥った形です。

 

国王は、政界の重鎮で70歳を過ぎているマルテンス元首相に、事態の早期収拾を要請し、見通しでは、マルテンス氏の後継首相を務めたジャン・リュック・デハーネ氏が有力視されています。

 

かつて炭鉱で栄え、今は高失業率にあえぐ南部仏語圏と、工業と物流で栄える北部蘭語圏の共存は、欧州にとっても重要な問題です。北大西洋条約機構(NATO)本部や欧州委員会本部を抱えるベルギーは、欧州の十字路と言われ、欧州統合のシンボル的存在でした。

 

そのお膝元で政治が揺らぎ、南部仏語圏の人々の中には、フランスに統合されてもいいと考える人もいます。たしかに蘭語圏のフラマンの人々は、私の友人をみても優秀な人が多く、ビジネスに長け、芸術分野でも手先が器用なことで有名ですが、仏語圏の人には、それがありません。

 

現実には、なんとか知恵を絞って共存の道を模索するしか、経済的にも生き延びる道はないと思いますが、国の安定感がなくなっていることだけは確かと言えそうです。進出している日本企業も多いのですが、政治から目が話せない状況が続いています。

 

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◀チェコのクラウス大統領

 

欧州連合(EU)は来年1月から、フランスに代わってチェコが議長国になります。フランスのサルコジ大統領は、議長国だったこの半年にグルジア紛争の仲介、金融危機への機敏な行動などが評価され、低迷していた支持率が回復し、議長国の地位のおかげで大いに得点を稼ぎました。

 

ところがチェコに関しては、すでにEUの先輩大国と摩擦が発生し、改めて旧中・東欧諸国の難しさが浮き彫りになっています。ことの発端は、チェコのクラウス大統領がEU旗の掲揚を拒否しているからです。理由は、大統領がEUに批判的だからで、加盟国の首脳として、あるまじき態度と非難されています。

 

EU旗は今月5日にプラハを訪問した欧州議員団がクラウス大統領に贈呈したものですが、大統領府は、そのEU旗の掲揚を拒絶しているという話です。サルコジ大統領は「EUへの侮辱だ」とチェコを強く批判しています。無論、そんな国がこれから半年も議長国になってちゃんとやれるのか心配が拡がっています。

 

チェコでは、国政は首相に権限があり、ドイツ同様、大統領には実質的な実権はなく、今回議長国の首脳として仕事をするのも、トポラーネク首相です。ですが、首相を務めたこともある政界の大物であるクラウス大統領の影響が皆無とは考えられません。

 

こんな事態が報道されるのを見ながら、かつてソ連共産圏に属した中・東欧の国々の人々のメンタリティに思いを馳せざるを得ません。一般的に西洋文明には、深い不信の文化があると言われ、信頼よりは疑うところから、全ての関係が出発するのが常です。

 

その不信文化の頂点に立つのが、中・東欧です。領土争いに明け暮れ、闘争の歴史を繰り返した中欧、東欧地域に住む人々の、人への不信感、他国への不信感、他民族への不信感、権力者への不信感は並大抵のものではありません。まさに日本人とは対局に属する人々と言えるでしょう。

 

当然、EUへの不信感、特に大国である英国やフランス、ドイツへの不信感は非常に強いものがあります。そんな彼らを抱え込んででも、EUを拡大したのは、ロシアの正体を熟知しているからに他なりませんが、来年はEU内もゴタゴタしそうです。

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◀レイモンド・デパルドン「アルゼンチン2005

 

パリのグラン・パレ・ナショナル・ギャラリーで来年110日から212日まで、ヤン・アース・ベルトランによる「六十億の異なる人々」展が開催されるそうです。

 

  この企画展は、ベルトランとドージェバル、ルージェルシャイエの3人が2003年から、世界75カ国で出会った人々を撮り貯めた5千の映像を同時に見せるという展覧会です。ブラジルの漁師、オーストラリアの弁護士、アフガニスタンの農夫など、異なった地域でさまざまな生き方をしている人々が、鑑賞者の前に一斉に映し出されるわけです。

 

  インターネットや映像技術などで、われわれは多くのニュースや出来事を瞬時に見ることができる時代に生きていますが、実は、それほどグローバルな心を持ち合わせているわけではありません。地球上で生きる人間を同時に見ることで、鑑賞者にはさまざまな思いが湧いてくるはずだというのが同展のねらいの一つのようです。

 

  自分が、その映像の前に立った時に何を感じるのか、喜びなのか、悲しみなのか、それとも希望なのか、きっといろいろ考えさせられるはずです。グローバルな視点とは何かということでしょう。

 

  このテーマは、例えば、パリのカルティエ財団現代美術館で来年315日まで開催の「生来の土地」展にも相通じるものがあります。レイモンド・デパルドンとポール・ヴィリリオの2人が、土着民の追放、大量移民、環境破壊など現在世界で起きている現象に焦点を当てた映像を芸術的アプローチで見せ、われわれの地球で今何が今起きているのかを問いかけています。

 

  フランスでは来年、20世紀にフランスで開花した美術に焦点を当てる企画展が計画されている一方、われわれが生きている地球で今、何が起きているのかに関心を持つグローバルな視点での展覧会も増えています。まさに時代の趨勢と言える現象です。

 フランスで日曜営業解禁のための法案が審議されていることもあり、日曜営業の是非をめぐる議論が高まっています。欧州全体の流れとしては、解禁の方向なのですが、そこはフランス人のこと、必ず、流れに逆らう動きが出てくるわけです。

 

  このことで思うことは、フランス人の個人主義についてです。例えば英国人とフランス人を比較すると、その個人主義の違いが浮き上がってきます。フランス人は言います。「英国人ほどの個人主義者はいない」と。すると英国人は「いつも協調性がないのは、フランス人じゃないか」と。

 

  日本では一般的に、フランス人は個人主義の代表選手のように言われています。でも、その個人主義は、多くの場合、個人のユニークさを表すもので、英国人とは違います。フランス人の多くが公務員になりたがるのも、経済的には保障を求め、週末やバカンスなどのプライベートな時間を個性的に過ごすのが一般的に好まれるからです。

 

  社会性を大切にする彼らは、意外と多くの社会的部分で共有するものを持っています。つまり、社会性の重視です。ところが英国人は非常に自立した個人にこだわり、フランス人から見れば社会性に乏しいと映るのです。

 

  日曜営業は、言ってみれば、国民のライフスタイルの多様化が大きな理由になっています。聖書の教えから始まった日曜日全ての国民が休養を取る習慣は、全ての人々に与えられた共有できる休日です。ミサに行かなくても、家族や親族、友人が集まれることを完全に保障する慣習です。

 

  全ての人が休めば、店が閉まり、それでは不便なのは当然です。逆にライフスタイルは多様だから、日曜営業は問題ないし、経済効果も高いというのが日曜営業解禁論者の意見です。英国人は言います。「全ての人に共通するライフスタイルなど存在しない」と。

 

  でも、フランス人の多くは、カトリック教徒の血を引いているので、共有できる価値観や決まりをどこかで求めています。日曜営業は便利ですが、その影で誰かが働く犠牲を払っているわけで、人生は働くためにあるわけではないし、1週間に1日ぐらい、多少不便があっても全ての国民が休む日があっていいじゃないかと主張しているわけです。

 

  その意味では、日本人こそ、ゆとりを持つために日曜閉店法が必要なのかもしれません。無論、世界的景気後退の中、消費を拡大するためには、日曜営業解禁は避けられないことかもしれませんが、日本のように24時間、365日営業という便利さは、雇用を生む代わりに、誰かがそのサービスのために人間関係を失う結果になっているのではないかという議論も成り立つわけです。

 フランスからイタリアの支社に転勤して3年が経つフランス人の友人の話が面白かった。彼は最近のフランス人に多い外資系志向で、大学卒業以来、外資系の会社しか勤めたことのない男です。彼はイタリアのミラノで仕事を始めた三年前、イタリアの支社は絶対に長くは持たないだろうと思ったそうです。

 

 まず、会議に時間通りに現れるものは一人もおらず、予定時間を1時間過ぎたころにようやく全員が集まるといった具合だったそうです。日本人から見れば、フランス人だって日本人ほど時間が守らないように思いますが、その比ではないということです。

 

 フランス人にとってはお隣の国だし、言葉も容易に理解できるようになったそうです。ところがあまりの文化や習慣の違いに、かなりのストレスを感じていたそうです。1年が経ち、彼は気がついたそうです。「イタリア人は凄い」と。

 

 彼曰く、「イタリア人は、のらりくらりとやっているように見えるけど、最後の最後まであきらめないところが凄い」というのです。「あれは、イタリアのサッカーチームに似ている。南米のような凄技の選手はいないけど、九十分のロスタイムまで、ものすごい粘りで戦い、最後は勝利する」となかなか、説得力のあるたとえだと思いました。

 

確かに言われてみれば、友人のイタリア人にそんな人物が何人かいます。一人はフランスのブルターニュ地方に住むエミリオで、彼は五十半ばですが、二十代から魚のビジネスを夢見ていました。しかし、失敗の連続で、いいかげんあきらめただろうと周囲は思って見ていました。

 

ところが、五十歳を過ぎて、とうとうビジネスをものにしてしまいました。「人生、いい時もあれば、悪い時もある。大事なことは絶対にあきらめないことだ」と彼は言いました。

 

もう一人は、ロンドン郊外で不動産業を営む男で、同僚の英国人をしのぐ顧客を持ち、実績を上げています。彼はイタリア人らしく、お客との待ち合わせで時間通り来た試しがありません。にもかかわらず、その粘り強さで顧客の心をつかみ、最後には結果を出しているのです。

 

ヨーロッパでは最古に近い高い文明を持つルーツ的存在のイタリアですが、彼らの特異な性格は、ちょっと真似できません。底抜けに明るい性格の影に、他のヨーロッパ人が舌を巻く執念深さが潜んでいるところに歴史の年輪を感じます。

 

そういえば、数年前、イタリアに住む塩野七生さんに電話したとき、随分、現代のイタリア人を軽薄なようにおっしゃったのを思い出しますが、確かに塩野さんが敬愛するカエサルなどに比べれ、軽薄かもしれませんが、それでもイタリア人の底力を感じるのは私だけなのでしょうか。

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◀パリ15区の小学校前の子供たち(筆者撮影)

 

日本でも未成年者の犯罪年齢が下がり、少年法の改正などが数年前から議論されています。ヨーロッパでも、犯罪の低年齢化や再犯率の高さは、大きな社会問題になっています。

 

フランスでは今月、法務省が諮問委員会から報告書を受け取り、とうとう12歳から収監可能にすべきと提案されています。

 

12歳といえば、日本では小学校6年生で、凶悪な犯罪といえども、刑務所に入れてしまうというのは、フランスでも賛否両論があります。出された報告書には未成年者を裁判にかけ、刑事責任を問うことなどを含む70項目の提案がされています。

 

諮問委員会に依頼した北アフリカ系アラブ移民2世のダチ法相は「良識ある提案だ」と支持しています。フランスでは現在、13歳から収監可能になっており、これでも十分年齢は低いと思いますが、それを引き下げるというのは、よほど重罪犯罪が低年齢化しているともいえる内容です。

 

現在、フランスには18歳未満の収監者が673人いるそうで、増加の一途を辿っています。無論、12歳で有罪となれば、即座に収監されるわけではなく、更生施設などで更生を全て失敗した場合にのみ、刑務所に移されるとしています。日本でも少年犯罪の再犯率は高いと言われますが、なんとも言えない話です。

 

報告では、16歳から18歳の未成年者を裁く、軽犯罪裁判所の設置を提案しています。これから世界的な景気後退で、親が失業して困っている姿を見る子供たちが、将来に希望を持てず、犯罪に走るケースも増えるかもしれません。世界中がすさんでしまえば、大変なことになります。