東京五輪のボート・カヌー会場をめぐり、東京都と組織委員会、政府が揉めている折りに、国際オリンピック委員会のバッハ会長が来日し、IOCを交えて4者のワーキングチーム設置の提案があった。日本が内輪もめして混乱しているのを見かねて提案したようにも見え、情けなくも感じる。
実はドイツ人のバッハ会長のマネジメント手法は、英米のトップダウンのマネジメントスタイルとは異なる。ものづくり大国のドイツでは、コンセンサスが重視される。無論、ヒットラーの独裁支配の経験も影響している。決まった後は忠実な実行を求められるが、決めるまでのプロセスは極めて民主的だ。いい物を作るには重要な意思決定プロセスと言える。
だから日本には馴染み深いように見えるが、実はこの手法には、日本的裏技や寝業は使えない。どこかの料亭でこそこそ物事が決まるようなことはできない。それに日本のマスコミは、日本政府や東京都、組織委員会に対してIOCが絶対的権力を持つように言われているが、それも日本的解釈に過ぎない。
バッハ会長の権勢を利用し、物事を有利に運ぼうなどという権威主義政治家や役人的発想もは的外れでしかない。重要なことは今後のオリンピックのヴィジョンや方向性を、どのように打ち出し、ぐたいかしていくかで、組織の階層や権力者の意向などどうでもいい話だ。
例えば、大阪は、2020年開催の東京オリンピック後の2025年に万博誘致を構想している。そのテーマは「超高齢化社会をどう豊かに生きていくか」らしい。経済界で高い評価を受ける某評論家がテレビ討論会で、「テーマは重要ではなく、コンセプトが重要なのですよ」と語っていたのが耳に残った。
現在、東京五輪のボート・カヌー競技場を巡って、都内の会場建設費が高騰しているのを受け、宮城県の候補地が検討されている。東京都の小池知事は「五輪誘致のテーマとして、東日本大震災からの復興があった」と言及し、宮城県開催の意義を強調した。バッハ会長も復興五輪には同調している。
そもそも五輪の東京誘致で掲げたテーマを知る日本国民は、今でも少ない。むしろ注目しているのは、世界に誇れる立派な施設や、レガシーという名の五輪後も継続して使える記念すべき立派な施設を残すこと、五輪のもたらす経済効果などで、テーマへの関心は低いだけでなく、復興五輪というテーマは完全に忘れられていたのが実情だ。
一般にヴィジョンは、将来のあるべき姿を描いたもの、見通し、追求する理想、目指す方向性であり、コンセプトは、そのヴィジョンを実現する具体化構想を言う。五輪や万博の「テーマ」は、どちらかと言えば、ヴィジョンに近いもので、具体化するコンセプトは、例えば「皆の心に残る五輪」とか、「楽しめる万博」などとなる。
ヴィジョンは、それのみでは言葉だけで具体像は見えない。コンセプトがあることで具体的構想となり、目に見える形での結果をもたらす。「社会貢献」はヴィジョンであり、「流通業を通して、物の安全で迅速な輸送、消費者へ確実に届けることを通じて社会貢献する」というのはコンセプトになる。
言い換えれば、「大切にする価値観」(ヴィジョン)を「何を提供するか」(コンセプト)で具現化する。つまり、両者は表裏一体の心と体の関係にある。ところが日本人はコンセプトには関心があっても、ヴィジョンに関心がない。手段が目的化しやすく、時にはコンセプトの変更でヴィジョンをも平気で変更してしまうこともあるくらいだ。
評論家の「テーマは重要ではなく、コンセプトが重要なのです」は、その典型とも言うべき発言だ。魂を入れないで、全て形から入るという発想だ。この主客転倒は今、日本のリーダーシップのあり方を揺るがし、組織のガバナンスに致命的ダメージを与えている。それは政治、行政、ビジネスなど、ありとあらゆる場で欠陥として作用している。
五輪の組織委員会のトップの森会長から、東京五輪のヴィジョンを聞くことはほとんどない。さらにシンプルなお金のかからない五輪というコンセプトに属するものでさえ、吹き飛んでしまっている。ヴィジョンもコンセプトも忘れ去られている状態だ。
半世紀前の東京五輪には、敗戦後の戦後復興から高度経済成長に移行する時代の国民の向上心と五輪精神が一致し、国民は語らずとも再生した日本を世界に示すヴィジョンもコンセプトも共有できていた。しかし今回は価値観の共有が難しい。だからこそ、魂であるヴィジョンの繰り返しの明示とコンセプトを明確にすることが求められているのだが、それは極めて希薄だ。
ロンドン五輪は成熟した西欧人道主義を顕現させ、特に障害者に大きなスポットが当てられた。リオ五輪は南米初のオリンピックに意味があった。では東京はどうなのか。ヴィジョンもコンセプトも聞こえてこない。今、IOCに唯一響くのは人道主義であり、スポーツが世界平和に貢献するというヴィジョンだ。復興五輪を忘れるなどもっての外のことだと思う。
重要なことは、東京五輪で日本人は何をしたいのかを明確にすることだ。その情熱が国民のみならず、IOCも動かしていくことになる。