日本は現在、空前の人手不足と言われている。となれば雇われる側の売り手市場のはずですが、実際にはブラック企業と呼ばれる過重労働、長時間労働を強いる会社を社員が辞める率が急増しているとも言えない状況が続いています。
失われた20年の経験から好景気といっても先行き不安を払拭できていないのが実情かもしれません。現在、裁量労働制の対象拡大で政府のデータ処理問題が浮上し、国会が紛糾していますが、企業側が長時間労働を合法的に強いる可能性が指摘されている。しかし、そんな企業が生き残るかどうかは35歳までの若い層の行動次第と私は見ています。
日本では石の上にも3年という考えもあり、新卒採用された若者が3年以内に会社を辞めるとキャリアにならないだけではなく、根性がないとか、社会に適合できないという烙印を押される例が少なくありません。しかし、不登校や引きこもりの若者を含め、人手不足の企業が直面する課題には、新しい考えが必要です。
というのも今後、人手不足で倒産する会社が出ることが予想されるからです。特に若者は終身雇用しか知らない世代と違い、企業が最後まで面倒見てくれるとの考えが急速に薄れている。優秀な人材ほど、ブラック企業を嫌い、去る例が今後確実に増えることが予想されます。
私はこの10年、日本の大企業は暗黙の了解の上に成り立っていた終身雇用が終焉しているにもかかわらず、働かせ方を改めていないのが問題だと言い続けてきました。経営層の成功体験が1970年代あたりに固定され、終身雇用、年功序列を基本に滅私奉公的な働き方から脱皮できていない企業があまりにも多いということです。
人間は自分が育てられたようにしか自分の子供を育てないと言われます。しかし、人々の考えを含め時代の変化のスピードの速さで、古い経験が活かされない場合もある。その原因の一つが、経験から編み出された教訓に普遍性がないことです。
日本人の最大の欠陥は「手段が目的化する」ことです。目的達成の手段は複数あるはずなのに、手段が哲学化し、不適切な指導を行ってしまう場合もあるという話です。経験から導き出された教訓には普遍性が必要です。それは目標の明確化が大前提です。
今の若者は安心・安全な職場を求めていると言われます。これはゆとり教育の結果もあるでしょうが、ブラック企業があまりにも多いのも原因だと考えられます。世界的にはリスクを取ることを恐れないチャレンジ精神があるかどうかが問われている時代に、安心・安全という受け身で老人化した精神しかないのは危機的状況です。
しかし、見方を変えれば、私生活の充実を優先する意味で安心・安全な職場を求めるのも合理的考えと言えます。本質的に日本人の労働観、人生観がいい方向に変化しているのであれば、それは希望的に捉えるべきでしょう。
世界的には終身雇用、年功序列がない労働環境で多くの人が働いている。優秀な人材ほど、キャリアアップして自分を高く買ってくれる企業に転職するため、いい会社、いい上司は、自分の眠れるスキルを引き出し、確実に伸ばしてくれるのが基本です。
欧米のように職種・職業別の給与水準が標準化されていれば、自分の能力に応じた給与が雇う側も雇われる側も見えるため、不適切な待遇は機能しないことになる。たとえば日本には下積みという言葉がある。下積み経験のない人間は駄目という考えです。
ところがスキルの高い新入社員に、低レベルの仕事を与え続けるのも合理的とは言えない。終身雇用では企業文化全体を知るための人事が繰り返されることが多いわけですが、転職が当り前なら企業文化はあまり意味をなさない。
ということで、空前の人材不足を機に企業経営者がマインドセットし直す時代が来ていることをポジティブに捉えるなら、やっと日本も普通の国になろうとしているとも言えます。その中で日本の優れたものをグローバルな角度から検証するのも可能となるでしょう。
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