Leadership-Role

 一般的に欧米の意思決定はトップダウン型で、日本はコンセンサス重視型といわれてきました。リーダーシップにも、たとえば、日本はかつては面倒見のいい父親を理想像としてきました。一方、アメリカの理想的リーダーは、旧約聖書で記録されたエジプトを出たイスラエル民族を砂漠で力強く引っ張るモーゼのような人物に例えたりします。

 スパルタ式を掲げる日本の厳しいリーダーがいう「愛情があれば問題ない」発言は、父親的存在を想定しているわけですが、実はその愛情は目に見えず、計ることもできず、あてにできません。よく聞く言葉は「俺はあの部下にポテンシャルがあると思うから仕事で圧力を加え、追い込んでいるんだ」です。

 しかし、そのリーダーは内心で思うだけで本人に伝えることは絶対にしません。「本人が傲慢になることに配慮している」と、いかにも愛情があるようにいうのですが、それで潰れてしまった有能な人材は少なくありません。なぜなら、圧力をかけらた方は、その根拠を知らないし、納得もしていないからです。

 逆にトップダウン型の欧米のリーダーは、最終的な結果にばかり注力するため、部下に無関心になり、不適切な指導や部下への責任転嫁もしばしば起きています。部下は目標達成できない時の上司からの評価に戦々恐々と、しばしば保身に走り、モティべーションが落ちていくことも多いのが実情です。

 つまり、洋の東西を問わず、リーダーシップは限界に差し掛かっていると言えます。その意味でロンドン・ビジネススクールで組織行動学を担当するダン・ケーブル教授が提案する「リーダーは、従業員をコントロールするのではなく、支援する」というリーダーシップ論は興味深いものです。

 ケーブル教授は、従業員の意欲と能力を最大限に引き出す方法として「サーバント・リーダーシップの実践」を提案しています。ここで言うサーバントの意味は卑しい下僕という意味ではなく、奉仕者という意味です。つまり権力をかざすリーダーではなく、謙虚さをもって従業員に仕える奉仕者としてのリーダーシップを推奨しているのです。

 リーダーにとって、自分に課せられた最終目標の達成は至上課題です。しかし、それは自分一人でできることではなく、従業員のスキルを最大限引き出し、モティべーションを上げ、適切な判断のもとで効率よくチーム全体がポジティブに仕事に取り組むことによって、初めてもたらされるものです。

 ケーブル教授が提唱するサーバントリーダーは、謙虚な考え方を取り入れることだといいます。「リーダーは、自身の主な役割として従業員の探求と成長を後押しし、その過程で物理的および感情的なサポートを提供することだ」というのです。
 言い換えると「サーバントリーダーは、自分より権力の弱い従業員の専門知識によって自身が恩恵を受けている現実を認め、謙虚さ、勇気、洞察力を持って、自分に奉仕する部下から、アイデアや個々人なりの貢献を積極的に引き出そうとする人間」というわけです。

 それは結果的に組織に学習する文化をもたらし、さらには部下に最高の力を発揮してもらえる雰囲気づくりにも繋がるというわけです。

 具体的には、リーダーは部下が何を課題とし、何を必要としているかを注意深く聞くことだとしています。それに対して口先で回答を与えて指導するのではなく、部下の当事者意識、自主性、責任感を高めるため、自ら考えさせ、部下が自分のアイディアを試す機会を与え、上司としての何を後押しできるかを上司は考え、行動することだというのです。

 一方的に命令するリーダーではなく、謙虚さをもって奉仕する支援者としてのリーダー像は、欧米でも新しい考えです。これなら上司と部下の間に生じがちな不信感や嫌悪感も解消できる可能性があります。

 さらに部下が最も気にする自分への評価についても、たとえば部下のミスについて、その原因が個人に起因しないことを容易に見つけ出せるため、より適切な評価を下すことができるようになる。権力者ではなく、奉仕者というリーダーシップのリセットは、多くの問題解決に繋がることが予想されます。

 ケーブル教授は「リーダーが謙虚になって部下に敬意を払い、組織改善のために自分がどう奉仕できるかを従業員に尋ねれば、その結果は素晴らしいものになりうる」と語っています。

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