
外交でもビジネスでも交渉を取り巻く環境には負の要素が常につきまとい、それが結構、交渉の妨げになることは多いといえます。昨日ブログで紹介した富士フィルムホールディングとゼロックスの合併を破綻に追い込んだゼロックスの大株主の存在も、まさに交渉を決裂させた負の存在でした。
交渉術といえば、世界的に『ハーバード流交渉術』が有名です。交渉を問題解決と捉え、勝者と敗者を生むのではなく、交渉当事者双方に利益をもたらす画期的な交渉術として今日でも応用されています。
感情を伴う人間と問題を切り離し、相手の立場に焦点を合わせ、解決策を見出すためにはクリエイティブオプションも提示し、交渉は新たな価値の創出という考えもあります。つまり、交渉当事者は協力して理性的、合理的にWinーWinの解決策を導き出す作業を行うというものです。
日本は、多くのビジネスで伝統的に長期的取引が想定されるため、深刻なダメージを相手に与えたり、対立を生む交渉は避ける傾向があり、弱肉強食で勝敗を重視する交渉が主流の欧米よりは、協力的交渉文化があったわけですが、グローバルな現場ではそうはいきません。
交渉は確かに合理的にWinーWinの解決策を導き出す作業であればいいのですが、互いに利益を追求する現場では、実際にはモラルを疑う悪意ともとれる要素がが渦巻いています。中国は外国企業が中国国内で商売することを許す代わりに、国内に生産拠点を作らせ、多額の投資で得た企業の高度な知的財産を頂き、投資なしに競争力のある中国メーカーを生んでいます。
東芝が主力産業を身売りするまで追い込まれたのは、アメリカの原子力関連企業ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(WH)社を2006年に買収したことにあったといわれています。東芝には当時、原発ビジネスをアメリカで加速させるために買収を必要としていたといいますが、実はWH社は深刻な問題を抱えた不良企業であることは隠されていたといいます。
今月、アメリカのトランプ大統領が北朝鮮の金正恩労働党委員長と直接会い、非核化交渉を本格化させていますが、相手は昨年までは、権力維持のためなら親族も処刑し、核実験を繰り返し、日米韓に対して何度もミサイル発射実験を繰り返してきた世界で最も孤立した独裁テロ国家というレッテルが貼られた国です。
日本でいえば、反社会的組織、暴力団のような存在です。彼らと交渉するのは至難な技であるだけでなく、最も関係したくない、関係してはいけない人々です。アメリカもテロリストとは交渉しないという伝統的考えがあり、テロ国家に指定した国のトップと話し合うのも本来のスタイルではありません。
WinーWinの解決策を導き出す作業の前提には、少なくとも共有すべき価値観が必要ですが、それが北朝鮮には見出せずに長い年月を過ごしてきた感があります。
最近、ハーバードビジネスレビューで紹介されている元FBI捜査官クリス・ヴォスとビジネスジャーナリストのタール・ラズの共著書『逆転交渉術』(早川書房)は、合理的解決策が望めない犯罪者相手の交渉を手がけてきた人物の経験談に基づく興味深い著書です。
特に人質立て籠もり事件などで、交渉人が直面するのは、合理的問題解決などまるで望めない状況だというわけです。つまり、犯罪は感情が引き起こすもので、感情を交渉から引き離すのではなく、犯罪者に対しての交渉スキルは感情的で不合理な部分に焦点を絞ることだというのです。
本書は、FBIの編み出したテクニックを、10章にわたり解説していますが、どれもが実際に起きた深刻な事件の解決に繋がった有用性の高い交渉術です。特に興味深いのは、サブタイトルにもある「まずは『ノー』を引き出せ」で、「ノー」は交渉の終点ではなく起点だという考え方です。
交渉担当者は相手に「ノー」と言わせることで、「まだ同意する用意ができていない」「私は他のものを求めている」「もっと情報がほしい」などの本音を引き出すことで、次ぎに交渉者は何をすべきかを導きだし、解決策を明確にすることに繋がるというのです。
それも交渉の最終ゴールである「イエス」は、早い段階でそれを要求するのは相手を警戒させ、得策ではないといいます。さらに著者は「対立を恐れるな」といい、対立への恐怖を克服し、それを共感で乗り切っていくことができれば、価値を見出すことができるとしています。
私が共感するのは、相手に強要したり、屈辱を与えたりせずに、自分の望むものを手に入れる方法があるという話です。犯罪者は通常、心理的、感情的な問題を抱えており、そこを無神経に触れば、心は閉ざされます。たとえば日本が拉致問題で北朝鮮と交渉するとき、一方的非難で交渉を続けています。
外交官は「相手は不当な経済的見返りを要求し、そこで妥協しなければ、こちらの要求は飲まない」といいます。しかし、どうして日本人を拉致し利用したのか、あるいはなぜ、今も孤立主義の独裁国家を続けているのかの背後にある彼らの感情を理解しようとはしていません。
トランプ大統領は今のところ、金正恩に対して屈辱を与えないよう最大限配慮しているように見えます。ボルトン大統領補佐官が、カダフィを路上で血祭りにしたリビア方式を口走ったことを否定しました。代わりに金正恩の書簡にあった「朝鮮半島の平和と安全と」いう大義を支持し、ヴィジョンの共有に努めています。
無論、圧倒的な経済力、軍事力を持つアメリカに対して北朝鮮は十分過ぎる屈辱を味わっているはずです。経済制裁も圧力です。しかし、独裁国家との直接交渉では問題解決のために相手の複雑な感情を考慮せざるをえません。それが日本にはないように見えます。韓国や中国との関係がいつも難しいのも日本が彼らに与えている屈辱への配慮が足らないからのように見えます。
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