日本の防衛省は21日、韓国海軍駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射問題で、韓国軍から照射されたレーダー音のデータを公開するとともに、これ以上の実務者レベルの日韓協議を打ち切ることを表明しました。
これに対して韓国国防省は同日「実体が分からない機械音」だと批判し、日本側の謝罪を求める従来の主張を繰り返しました。防衛省もこのような韓国側の解答は折り込み済みだったはずです。つまり、もともと反日で対日強硬姿勢で支持基盤を固める文在寅現政権にとっては、最初に結論ありきで客観的証拠など意味がないし、日本への謝罪など絶対にありえない話だからです。
とはいえ、東アジアの安全を考える上で、中国、北朝鮮の封じ込めで日米韓の緊密な協力関係構築は必要不可欠です。逆に言えば、日韓関係の悪化は中国にとっても北朝鮮にとっても願ったり叶ったりのことだといえます。
しかし、何故、安全保障に関わる重要な海事の紳士協定を破り、旧徴用工保障問題で1965年に締結された日韓基本条約や日韓請求権協定を無視し、従軍慰安婦問題で2015年に日韓政府で合意した慰安婦問題日韓合意を反故にし、わざわざ日韓関係を悪化させることを韓国は繰り返すのかが最大の疑問です。
私は急成長する韓国を1980年代末に取材し、進出する日系企業のコンサルを何度か経験したことから、結論からいえば、韓国には彼ら独特の「甘えの精神構造」が存在すると見ています。文在寅大統領は就任早々、朴前政権と李元政権による保守政治の間違いを正すことを表明し、強く糾弾し、2人は刑務所に入れられました。
どの国でも敵対する政党批判は普通のことですが、それが批判に終わらず、相手の息の根を止めるまで止めないのが韓国です。そのためなら法律を変え、司法のトップを変えて、前大統領を刑務所に送り込み、時には死刑宣告までしています。基本は、自分の正当性を認めさせるために過去の歴史を書き換えることにあり、韓国人には違和感がありません。
企業内の権力闘争でも同じことが起きています。それは前任者に対して後任者が必ずと言っていいほど厳しく批判することに表れています。また、高い地位を得るために、めざす地位に就く者の名誉を著しく傷つける誹謗中傷を繰り返すことで失脚させ、自分が取って代わろうとすることです。
韓国の組織内の権力闘争を経験した日本人や他の外国人の多くは「まるで韓国王朝ドラマを見ているようだ」といいます。時あらば人の足を引っ張り、その地位から引きずり降ろそうとする習慣は、李王朝時代から続き、韓国人のDNAに深く刷り込まれているともいえるものです。
限られた国の資源と資産を奪いあってきた朝鮮半島では、富を得るために努力を重ねるより、富を持つ者におもねるか、彼らから奪うかしかありません。強大な権力と富を持つ隣接する中国にはおもねながら、ロシアや日本の脅威に晒され、国内では醜い奪い合いを繰り返すしかなかった悲しい歴史があるという見方もできます。
しかし、見方を変えれば、簡単に歴史や法律を書き換え、国際協定も無視する精神は、けっして見上げたものではないのも確かです。普通は人の足を引っ張らなければ上に上がれない人間は、実力も自信もない人間と見られます。さらに自己保身から都合の悪いことが起きると、すぐに他人のせいにするのも情けない態度です。
かつて日本で精神分析学者の故土居健郎氏が書いた『甘えの構造』が1970年代、日本人論で一世を風靡しました。家族関係の濃厚な日本社会の親子関係に注目し、周囲の人に愛され依存できるようにしたいという「受動的愛情希求」が日本人特有の感情として存在すると指摘されました。
親子関係が日本以上に濃厚な韓国では、甘えの正反対にある「自己責任」という意識は非常に希薄です。自分がより愛されるために邪魔になる人間の足を引っ張り、再起不能になるまで追い詰める慣習は中国にもあり、敵対した過去の権力者の石像を破壊し、墓を暴く習慣があります。卑しい行為ですが、靖国問題も同じような感覚で彼らは考えているのでしょう。
韓国側が「日本は傲慢だ」「謝罪すべき」というのは、甘えから来ているもので、責任をとるつまりがないからです。それより国内の反日派に愛され続けるためには、日本の価値を貶める発言や行為を繰り返すしかなく、それは稚拙で悲しい行為だという自覚は韓国人にはありません。
日本にもキリスト教を背景に持つ西洋先進国のような絶対的で普遍的な価値観はありませんが、それでも法を絶対視し、ルールを守り、自ら責任を取る姿勢はあります。それが朝鮮半島や中国にはないため、権力者が代われば、法律も歴史観も書き換えられ、正当性の中身は変わるということを理解しておく必要があるということです。
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