ジレ・ジューヌ(黄色いベスト)運動が、いつ終息するのかが注目されるフランスで、政治経験の少ない若いマクロン大統領が苦境に立たされています。燃油税引き上げへの抗議から始まった運動は、その母体がなく、自然発生的に全国に拡がり、購買力向上のための最低賃金引き上げなど、さまざまな要求がありました。

 昨年暮れには、デモ隊のプラカードに「マクロンは辞めろ」というメッセージが登場し、現政権への不満は頂点に達した感がありました。マクロン政権は昨年12月、最低賃金の引き上げや増税の一部撤回などの対応策を発表し、今年に入り、政策課題について市長や市民と直接対話の国民討論会を全国で1000回以上開き、大統領自ら討論会に参加しています。

 どこからともなく起こった抗議運動は、国民の「不満の壺」にはまった感があり、ネット上の呼びかけに多くの国民が共感し、その共感が今も原動力になっています。しかし、デモ隊の暴力のエスカレート、高速道路の封鎖だけでなく料金所への放火など、参加者の暴徒化も問題となっています。

 今は暴力反対の女性だけのデモ、抗議運動でビジネスに被害を受けた人たちのデモ、マクロン支持者のデモ、さらには環境政策へのデモなど、とにかく、ありとあらゆる種類の抗議運動が起きています。ただ、30年前からフランスを見てきた私としては、その規模や長さを除けば、デモは労働組合、一般市民、警察、消防まで行う国で、普通なことともいえます。

 マクロン大統領は、国民討論会で鎮静化を図り、昨年暮れに20%台に落ち込んだマクロン氏への支持率が30%台に回復しており、今度は5月の欧州議会選挙に合わせ、国民投票を実施することを検討している状態です。そこで思うことは最終的に国民の不満を爆発させたフランスの中央集権的体質です。

 マクロン大統領の口癖は「決めるのは私だ」で、東京地検に逮捕・拘留中の日産自動車のゴーン前会長の意思決定スタイルもガヴァナンスが疑われるほど権力が集中していたことが指摘されています。実はフランスは大革命前には全国各地の有力貴族が存在し、中央集権が強まったのは革命後でした。

 原因の一つは国のシステムを大きく変更する革命を起こしたことで、革命に反対した地方貴族の反乱を押さえ込む目的もありました。革命以降、ナポレオンの登場で国王に代わり皇帝が誕生し、権力は集中しました。そこに官僚制度の強化が加わり、国自体のシステムが中央集権となった経緯があります。

 そのため、もともと各州による地方分権のドイツや、イングランド、ウェールズ、スコットランドなどの連合国である英国と違い、大統領に権限が集中するスタイルが定着し、それが企業のリーダーシップや意思決定にまで影響を与えています。

 地方分権を進めたのはミッテラン政権時代で、エリート官僚養成学校の国立行政学院(ENA)を仏東部ストラスブールに移したり、私が教鞭をとった日仏経営大学院を西部ブルターニュ地方レンヌに作ったりしました。

 とはいえ、中央集権的体質が変わったとはいえず、今でも組織運営は非常に中央集権的です。たとえば、新しく就任した会社のトップは、自分の思う通りに方針を決定し、社長室を含む会社内のデザインを自分好みに替え、自分のカラーを全面に出すのが慣例です。

Decision making process

 多様化し専門化する大きな組織の中で、一人の人間が決められることは、それほど多くない現実の中で、ENAや指導者養成のグラン・ゼコールを出たスーパーブレインのエリートが、優秀なスタッフを従え、自分で多くのことを決定しているのがフランスです。

 マクロン氏は2017年の大統領選期間中から、選挙戦略会議でスタッフの意見は聞くものの、後は自分の部屋に籠もって一人で決めるスタイルだったことが伝えられています。ENA卒業でもともと投資銀行の副社長だったマクロン氏に下積みはありません。民間企業の経営スタイルを政治に持ち込んだ形です。

 だから、国民に寄りそうのではなく、自分の人並み外れたスーパーブレインで国民を指導し、国に奉仕する考えが強く、かなり上から目線です。そこは日本の高級官僚にも似ています。ゴーン氏のリーダーシップも同様で、自分の並外れた高い能力で会社を再生させ、結果を出してきた自負があり、日本のリーダーのように「社員全員の努力で」などとはいいません。

 だから、当然、高給を取って当り前ということになるわけです。しかし、今回の大統領辞任を求める黄色いベスト運動や、日産自動車幹部によるクーデターとも取られ兼ねない経営幹部がゴーン氏へ半旗を翻した行為は、行き過ぎた中央集権的意思決定スタイルのデメリットが表面化したものともいえます。

 つまり、国民や部下からのフィードバックや意見に耳を傾けず、自分が立てた目標にまっしぐらに突き進んだ結果が、クーデターを引き起こしたともいえます。そこには必ずトップと下の者との大きな格差があり、フランス革命では贅沢三昧の王侯貴族と貧しい庶民、黄色いベスト運動では富裕層と最低賃金で働く貧困層、突出した報酬を受け取るゴーン氏と低賃金で働く労働者という構図があります。

 無論、中央集権的強いリーダーシップには、目標達成に向かって妥協を許さず突き進むメリットや、決められない経営の回避などがあるのも事実で、カリスマ的な改革型リーダーに見られるタイプです。しかし、そこでは多様な意見は無視され、結果として弱者も無視される傾向があります。

 改革型の強いリーダーシップを自負していたマクロン氏は、抗議デモが起きるまで国民にくすぶる不満や反発を一過性のもと軽視していました。ゴーン氏は不正を暴く部下に気がつきませんでした。往々にして、その絶対権力ゆえに裸の王様になりやすく、部下の上司への過剰な忖度が不祥事を引き起こすきっかけにもなることもあります。

 だからといって、各国にある意思決定スタイルは、国の歴史や文化から生れたもので、簡単には改善することはできません。日本も長い間、殿様に仕えるしもべの精神がDNAに刻まれ、リーダーへの忖度文化があり、それを変えるのは容易なことではありません。

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