モーリス・ドニ作「永遠の夏」5枚の画面に「オルガン」「声楽」「四重奏」「舞踏」「オラトリオ」の主題が描かれている。
19世紀末、フランスにはナビ派と呼ばれる芸術家たちが新たな様式を求め、ボナール、モーリス・ドニ、ヴュイヤールなどの画家たちが、パリ西方サンジェルマン・アン・レーに集まっていました。フランス近代美術のパイオニア的存在だった彼らには、当時、注目されていたジャポニスムの影響も色濃く認められます。
このナビ派の追求した装飾芸術に注目したのが、パリのリュクサンブール美術館で開催中の「ナビ派と装飾芸術 ボナール、ヴュイヤール、モーリス・ドニ…」展(6月30日まで)です。ナビ派の画家たちは、印象派の画家たちにも拡がっていた人間の織りなす何気ない「日常の美」に注目しながら、芸術と日用品に転嫁する応用美術に道を開いたといわれています。
明治維新後の時代にあった日本では、長年、職人たちが制作してきた伝統工芸品という存在があり、パリ万博などで広まった工芸品や浮世絵などが、フランスの前衛的芸術家たちに多大なヒントを与えたといわれています。
日本は逆に日仏交流の中で絵師や工芸家たちが芸術に目覚めた感がありますが、日本の美術は、立体と奥行き、空間を重視した西洋の伝統絵画に、琳派や浮世絵の大胆な構図や輪郭線が生む形のおもしろさ、平面的で装飾性が強い日本の美術が多くの新たな様式への道を開くヒントを与えたのも事実です。
西洋においては、装飾性の強いものは芸術とは呼ばず、大衆的でひとつランクの低い存在でしたが、日常生活に素材を求めたナビ派は、装飾芸術にも道を開き、新しい表現方法を提示しました。その彼らの歩みを、展覧会では100点近くの絵画やデッサン、版画、調度品と共に検証しています。
今でもサンジェルマン・アン・レーのドニの旧邸宅を改装した美術館で、ナビ派の作品を見ることができますが、ナビ派は、パリの美術学校、アカデミー・ジュリアンの画学生の間から始まったため、最初は画学生だった地方政治家の息子、ポール・ランソンのアトリエなどに集り、後にドニの邸宅が拠点になった経緯があります。
実はナビ派の発端は、ジュリアンの画学生、ポール・セリュジエが仏西部ブルターニュ地方ポンタヴェンでゴーギャンに出会ったことから始まり、ゴーギャンの教えが画学生たちを虜にした経緯があります。そのゴーギャンも日本の浮世絵に影響を受け、その装飾性が作品に色濃く反映されています。
興味深いのは、フランスには新たな様々な美術運動が起きましたが、ナビ派にしろ、アール・ヌーヴォーにしろ、建築や家具、器などの日用品を芸術的アプローチから作り出すことが並行して行われたことです。それも彼らが行ったことのない日本では、浮世絵が陶器茶碗の包み紙や、大衆的な相撲や美人画という日常生活に溶け込んでいたことが影響していることです。
ナビ派の特徴は、属していた画家たちの結束が強かったことで、彼らは絵画だけでなく、彫刻、工芸、舞台美術などに活動を範囲を拡げていきました。自然の光に焦点を当てた印象派と違い、画面の中で構成される秩序に注目したナビ派は、20世紀の前衛抽象絵画に道を開いた極めて理論的アプローチだったといえます。
芸術の装飾性を主張したナビ派には、様々な日本美術の痕跡が認められますが、圧巻はなんといっても浮世絵に見られるような何も描かない空白が取り入れられていることです。西洋美術にはありえない表現方法でしたが、彼らには新鮮に映ったということでしょう。
その一方で、彼らの作品やドニの礼拝堂のある邸宅を訪れると、彼らの宗教性も強く感じます。ナビはヘブライ語で「預言者」を意味し、主要メンバーが篤実なカトリック教徒だったことから、中世神秘主義の影響も色濃く認められます。一方で伝統的写実主義を否定し、科学的アプローチも見られるナビ派は、リベラリズムとは一線を画す宗教性も持ち合わせていたということです。
19世紀末、フランスにはナビ派と呼ばれる芸術家たちが新たな様式を求め、ボナール、モーリス・ドニ、ヴュイヤールなどの画家たちが、パリ西方サンジェルマン・アン・レーに集まっていました。フランス近代美術のパイオニア的存在だった彼らには、当時、注目されていたジャポニスムの影響も色濃く認められます。
このナビ派の追求した装飾芸術に注目したのが、パリのリュクサンブール美術館で開催中の「ナビ派と装飾芸術 ボナール、ヴュイヤール、モーリス・ドニ…」展(6月30日まで)です。ナビ派の画家たちは、印象派の画家たちにも拡がっていた人間の織りなす何気ない「日常の美」に注目しながら、芸術と日用品に転嫁する応用美術に道を開いたといわれています。
明治維新後の時代にあった日本では、長年、職人たちが制作してきた伝統工芸品という存在があり、パリ万博などで広まった工芸品や浮世絵などが、フランスの前衛的芸術家たちに多大なヒントを与えたといわれています。
日本は逆に日仏交流の中で絵師や工芸家たちが芸術に目覚めた感がありますが、日本の美術は、立体と奥行き、空間を重視した西洋の伝統絵画に、琳派や浮世絵の大胆な構図や輪郭線が生む形のおもしろさ、平面的で装飾性が強い日本の美術が多くの新たな様式への道を開くヒントを与えたのも事実です。
西洋においては、装飾性の強いものは芸術とは呼ばず、大衆的でひとつランクの低い存在でしたが、日常生活に素材を求めたナビ派は、装飾芸術にも道を開き、新しい表現方法を提示しました。その彼らの歩みを、展覧会では100点近くの絵画やデッサン、版画、調度品と共に検証しています。
今でもサンジェルマン・アン・レーのドニの旧邸宅を改装した美術館で、ナビ派の作品を見ることができますが、ナビ派は、パリの美術学校、アカデミー・ジュリアンの画学生の間から始まったため、最初は画学生だった地方政治家の息子、ポール・ランソンのアトリエなどに集り、後にドニの邸宅が拠点になった経緯があります。
実はナビ派の発端は、ジュリアンの画学生、ポール・セリュジエが仏西部ブルターニュ地方ポンタヴェンでゴーギャンに出会ったことから始まり、ゴーギャンの教えが画学生たちを虜にした経緯があります。そのゴーギャンも日本の浮世絵に影響を受け、その装飾性が作品に色濃く反映されています。
興味深いのは、フランスには新たな様々な美術運動が起きましたが、ナビ派にしろ、アール・ヌーヴォーにしろ、建築や家具、器などの日用品を芸術的アプローチから作り出すことが並行して行われたことです。それも彼らが行ったことのない日本では、浮世絵が陶器茶碗の包み紙や、大衆的な相撲や美人画という日常生活に溶け込んでいたことが影響していることです。
ナビ派の特徴は、属していた画家たちの結束が強かったことで、彼らは絵画だけでなく、彫刻、工芸、舞台美術などに活動を範囲を拡げていきました。自然の光に焦点を当てた印象派と違い、画面の中で構成される秩序に注目したナビ派は、20世紀の前衛抽象絵画に道を開いた極めて理論的アプローチだったといえます。
芸術の装飾性を主張したナビ派には、様々な日本美術の痕跡が認められますが、圧巻はなんといっても浮世絵に見られるような何も描かない空白が取り入れられていることです。西洋美術にはありえない表現方法でしたが、彼らには新鮮に映ったということでしょう。
その一方で、彼らの作品やドニの礼拝堂のある邸宅を訪れると、彼らの宗教性も強く感じます。ナビはヘブライ語で「預言者」を意味し、主要メンバーが篤実なカトリック教徒だったことから、中世神秘主義の影響も色濃く認められます。一方で伝統的写実主義を否定し、科学的アプローチも見られるナビ派は、リベラリズムとは一線を画す宗教性も持ち合わせていたということです。
