国連のグテレス事務総長が今月30日に、ドイツのアーヘン市で行われた恒例のカール大帝賞授与式で受賞にあたって語った「多国間主義が失敗すれば世界は新たな『冷戦』に突入する」と述べた内容を聞いて、久しぶりに多国間主義という言葉を聞いたように思いました。
グローバル化に疲労感を覚え、自国中心主義に世界が振れる中、トランプ米大統領の登場で国益第1主義(実はこれまでもそうだった)が強調されるようになり、多国間主義とか多極化均衡論はなりを潜めた感がありました。特にオバマ政権時代にパックスアメリカーナの終焉を世界が感じていた頃とは世界は大きく様変わりしています。
しかし、国連を無視する傾向のあるアメリカのプレゼンスが弱まったオバマ政権時代、皮肉なことに国連も普遍的思考の欠落した潘基文前事務総長時代だったこともあり、国連が世界の紛争収拾に主導的役割を発揮することはありませんでした。
私個人は、多国間主義とか多極化均衡論は、夢見心地な理想主義にも感じています。なぜなら、人間社会の常にあるように、均衡を保つルールを無視する国が必ず表れ、彼らを押さえ込めるとは思えないからです。結局、ルールを守らせる警察官は必要だということです。
先進国の高い技術など蓄積された知財を不当な方法で入手し、自国の発展どころか世界支配を企む国を多国間主義で抑えるなど不可能です。最初から自国の利益以外に関心がなく、ルールを守る気がない国が安保理の常任理事国になっている国連が機能するはずもありません。
多国間主義の先頭を走っていた欧州連合(EU)でさえ、共通のルールを嫌う英国の離脱を招いています。人間は手痛い経験をすれば、その経験から2度と同じことは繰り返さないと思うものですが、時間が過ぎ、その経験のない世代が中心となると、苦い経験は忘れられるのが常です。
ヨーロッパも20世紀の2つの大戦で戦場となり、ヨーロッパ内での武力衝突の悲劇を2度と繰り返さないとの強い思いが、EU統合の根底にあったのが忘れられているかのように見えます。
グテレス事務総長は、28カ国(今年中には27か国なる予定)で構成されるEUは、多国間主義の柱であるとし「新たな冷戦を回避し、真の多国間主義的な秩序を確立させるには、『欧州合衆国』がその力強い柱として存在する必要がある」と述べています。
カール大帝賞は、16世紀に皇帝カール5世が戴冠式を行ったアーヘン市が1949年から毎年、欧州の統合に功績のあった人物に授与しており、ローマ法王フランシスコやフランスのマクロン大統領らが受賞しています。
グテレス氏の警告は、EUに対し規則に基づいた世界的な秩序の保全に向け、主導的な役割を果たすことを呼び掛けたものですが、欧州議会選が終わったばかりの欧州は、英国の離脱を控え、移民・難民排除を主張するEU懐疑派や環境政党の確実な政治基盤の拡大の中で、新たな一歩を踏み出そうとしています。
しかし、現実には、トランプ政権を嫌う統合推進の親EU派と環境政党に対して、トランプ氏の自国第一主義に共感するEU懐疑派の対立の構図に加え、台頭する中国への警戒感は全ての政党に共通するものもありますが、アメリカとの対立が深まる中、中国の経済的甘い誘いに乗りかねない危うさも持っています。
グテレス事務総長は演説の中で、国連を要とする世界秩序は国家主義と排他主義の台頭で脅威にさらされていると指摘し「欧州が失敗すれば、必然的に多国間主義、および世界も失敗する」と述べました。
しかし、私はむしろ、中国の覇権主義の脅威への対処に集中するアメリカと、多国間主義で世界秩序に貢献しようとする欧州の間に立つ日本の役割の需要さの方が気になるところです。欧州はいずれ、文句をいいつつもアメリカに引きじられているのが現状です。
今のところ、日本が世界の新たなフレームワーク作りに本腰で参加しているようには見ないし、意識もないように見えます。しかし、実際は過去のいかなる時代よりも日本は高い評価を受け、存在感を増しているにも関わらず、その自覚がありません。
この2度と到来しないチャンスを掴み、経済だけでない新たな世界秩序構築に貢献する機会が与えられているという認識を日本は持つべきだと私は考えています。つまり、西洋の理念だけでは21世紀の世界秩序は保てない状況にあるということです。
ブログ内関連記事
欧州議会選挙でめくられたEUの新たなページは、過去にない政治の対立軸の上に立っている
日欧の緊密な関係構築は世界の新たなフレームワーク作りに貢献するという信念を持つべき
日・EUのEPA交渉妥結は双方にとって明るい材料となるか
世界は「分断の時代」「世界大戦勃発前夜」にあるという論調の信憑性