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 私は、この10年間、あらゆる場で日本が過去のいかなる時代よりも国際社会で高い信頼と評価を得ていることを書き、話してきました。それは30年間、世界のあちこちを取材し、様々な人々にインタビューし、グローバルビジネスと関わり、フランスのビジネススクールで教えてきた経験で、肌で感じることだからです。

 特に欧米諸国における評価には文明的視点が大きいといえますが、文明の尺度は、アメリカが大切にする価値観に象徴される、自由、平等、公正さ、正義、人権、寛容さが、どれだけ保障され、機能しているかということです。さらにそれらを支える政治的、経済的安定、安全性、高度なテクノロジーなども見ているのは当然です。

 しかし、経済力やテクノロジーが先にあるわけではなく、日本もかつては拝金主義者のイメージがありました。つまり、今の日本は経済力や高度で洗練された知識社会があるだけでなく、極端に人権が踏みにじられ、公正さを欠き、権力者が気に入らない者たちを簡単に処刑するような独裁社会ではなく、政権に対しての自由にものが言える自由社会を実現しているということです。

 かつて、韓国の朴槿恵前大統領が日本に背を向け、中国に急接近した時、韓国民に対して反日姿勢を見せるとともに、民族主義を何度も口にしました。今の文在寅政権では朝鮮半島に住む朝鮮民族主義を標榜していますが、欧米で民族主義を口にするのはネオナチくらいです。

 欧州で極右勢力が台頭しているので、きっと彼らも民族主義者かといえば、実はそうではありません。民族主義には、ナチスドイツの民族浄化という恐ろしい記憶があり、ありえない話だからです。アジアでは中国外交に積極的だった朴槿恵氏は中国の習近平主席の民族主義を称賛していました。

 この民族主義こそ、東アジア地域を一つにできない最大の阻害要因であることに、あまり多くの人は気づいていません。欧米のメディアでは、日本の右傾化を警戒する中韓の論調について語る時、日本のナショナリズムとは言わずに「民族主義」という言葉が使われています。

 ナショナリズムと民族主義の使い分けは、厳密には政治家たちもマスコミも正確に意味を介して使っていないことが多いわけですが、たとえば日本のナショナリズムは、民族的、言語的に共通性の高い日本人という視点からは民族主義と誤解され易いのです。

 朝鮮半島は大国に囲まれ、常に存在そのものが危うい状況にあった歴史からすれば、民族意識の強さは仕方のないといいます。しかし、ヨーロッパの例で言えば、小国であるベルギーやオランダ、ルクセンブルクで今の時代に国家として民族主義が語られることはありません。

 日本と縁の深かった中国の指導者、孫文は、かつて日本を高く評価していました。日本人から見た中国は国土も人口も、さらには歴史の長さも、はるかに大国のように思うこともありますが、中国の政治指導者は、日本を脅威に感じるほど、その存在は大きかったわけです。

 今、過去にない中国の覇権主義の脅威に晒される日本は、米朝交渉が失敗すれば、北朝鮮も再び、ミサイル発射実験を本格化させるかもしれない緊張状態があります。

 私は、殺戮と闘争を国家間で繰り返してきたヨーロッパが、その状態を脱した知恵を学ぶべき時だと考えています。その核心は何かと言えば「赦し」の精神です。

 こじれた関係の全ては「赦し」によってしか解決しないという考え方が、たとえば、フランスとドイツの厳しい対立を乗り越える鍵だったわけです。無論、欧州にはキリスト教の精神的共通基盤があり、そこから解決の糸口を探せたともいえますが、過去の歴史を見れば、今は奇跡的安定状態にあります。

 この赦しの精神こそ、文明の高さを表すものだと私は考えている。それがアジアには存在しない。今やキリスト教は韓国で最大勢力を持つ宗教ですが、彼らには「恨」(ハン)という感情的なしこりや痛恨、悲哀の精神文化が存在し、それは日本にも向けられています。

 この恨に似た概念で、フランス語にはルサンチマンという言葉がありますが、これは弱者が強者に対して使うことが多く、結局は共産主義に繋がる要素にもなりました。それに対してキリスト教が残した精神は、悪を憎むと共に「全てを赦す」ものです。

 「汝の敵を愛せよ」という究極的赦しは、無論、実行は難しく、アメリカも攻撃されれば、やり返すのが外交の原則です。事実、キリスト教を信奉するアメリカも9・11テロの後、アフガニスタンやイラクへの報復を正当化しました。しかし、ヨーロッパの統合を可能にしたのは、この赦しと寛容さの精神によるところが大きい。

 「戦争に勝者はいない」といいますが、赦し合う心を持つことも簡単ではありません。まして恨みを正当化する共産国、恨を文化と自認する韓国が相手ならば、さらに赦すことは容易でないのも確かです。憎しみに走ったら、日本の負けです。

 日本は文明的視点で見れば、問題の多い非常に危険な国に囲まれているのも状態です。しかし、間違っていること筋が通らないことへの批判をしたとしても、日本がもし、許しと寛容さの精神を持ち続けることができれば、真の文明国として、さらに高い評価を得ることは間違いないと私は思っています。

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