長年、グローバルビジネスのコンサルや人材育成に関わってきた人間として、国の壁を超えることは容易でないことを痛感させられます。ようやく相手を理解できたかなと思うと、新たな疑問が出てきて迷路に迷い込むことも少なくありません。
異文化理解には「同じ人間なのだから」という視点や「固定観念を持たない」ことの重要性が強調されます。たとえば個人主義か集団主義かという違いが強調され過ぎると、相手に対する歩み寄りは不可能になり、ネガティブな感情がはびこることが多いので「アメリカ人は日本人に比べ、個人主義的傾向が強い」と傾向を表す程度に止め、決定的違いと思わないことが重要だというわけです。
日本のような常識の共有度が高いハイコンテクストの国では、国民の常識のギャップは大きくなく、ちょっとした違和感を感じる人間に対しても嫌悪感や拒否反応を持つケースもあります。いじめの心理には村社会が共有する常識や感覚に合わない人間を排除する心理が指摘されており、子供社会だけでなく大人社会でも起きています。
会社の中でも、いじめは存在し、過疎化に苦しむ村が人口を増やすために格安で提供する住宅をあてにして移住したら、村八分に遭って脱出した例もあるほどです。長年続いた新卒採用しか雇わない慣習は、会社の色に染めるためといわれ、会社が持つ企業文化を共有し、会社への忠誠心を養うために導入された慣習で、転職を難しくしてきました。
つまり、ダイバーシティが奨励される世の中ですが、実際には違いの許容は簡単ではなく、まして日本文化と違う異文化は、会社ごとに文化が違い、相いれないものがある日本では外国人材の受入れでは課題は非常に多いといえます。
マネジメント方法でも、たとえば欧米諸国だけでなく、中国でもプロセスよりも結果が重視されます。するとグローバルマネジメント研修などで、海外に出たらプロセス重視よりも結果重視に意識を切り換えろという講師も少なくありません。
リーダーシップやマネジメント方法は、その国の文化が生み出すものなので、違いがあるのは当然です。バルブ崩壊後にアメリカ式マネジメント手法が急速に流れ込んできた日本ですが、たとえば終身雇用を続けながら極端な成果主義を導入した結果、職場の同僚が全員競争相手になり、解雇のリスクも出てきて、チームワークを大切にしてきた日本の職場の人間関係が崩れたという例もありました。
アメリカのビジネススクールで学んだ人間が幅を利かせ、コンサルで効率性や成果主義の導入を進めた結果、社員の愛社精神は失われ、保身に走り、モチベーションも下がったなどという報告もあったりしました。
逆に、その反動から独自の伝統的な日本的経営にこだわり、今の若者の心には届かない精神論を強調することに邁進する企業もあったりして、今も混乱状態は続いています。
私は世界的評価を受ける日本文化はしっかり維持すべきだという考えです。マルコポーロやフランシスコ・ザビエルが評価したモラルの高さは、絶対に失ってはならない貴重なものです。多くの国では貧しい人が物を盗むことや嘘をつくことは、当り前になっていますが、日本人はそうではありませんでした。
優れた職人文化が生んだプロセス重視が高品質の製品を産み、世界的評価に繋がり、事実、クルマ作りの生産システムは世界の自動車メーカーに影響を与えました。問題なのはプロセスを重視するあまり、手段が目的化し、結果にコミットできないデメリットがあったことです。これに気付かされたのが倒産の危機に追い込まれた日産自動車でした。
つまり、様々な文化が生み出した優れたものは、一方でその国の人々に支えられて機能してきたもので、欠陥があることには気づきにくいということです。だから、個人主義対集団主義とか、結果重視対プロセス重視というように対立軸で考えることは間違っているわけです。
有効なグローバルマネジメント方法を生み出すには、それらを対立するものとして捉えるのではなく、いい部分をいかに融合させるかということです。それをいつもゼロベースで考え続けることが重要です。シナジー効果は対立が生み出すものではなく、融合がもたらすものです。
それは簡単なことではありませんが、前人未踏の未知の世界に踏み出す醍醐味がある話であり、優れた伝統は進化を続けるものです。それは人間そのものの進化にも繋がると私は思っています。
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