今年は喜劇界の世界的映画スター、チャーリー・チャップリン生誕130年にあたる。そこでフランス西部ナントにあるナント美術館で、非常にユニークな展覧会が開催中です。題して「チャーリー・チャップリン アヴァン=ギャルドの時代」展(20年2月3日まで)は、無声映画の巨人、チャンプリオンと当時の前衛芸術家の意外な関係について繙いています。
19世紀後半から20世紀初頭、フランスには多くの優れた芸術家が集まり、過去にはない新しい試みに取り組む、いわゆるアヴァンギャルドの時代にありました。フランス人のフェルナン・レジェは、キュビスム、さらには太い輪郭線で単純化したフォルムで描く独自の作風で現代美術に大きな影響を与えました。
日本でも誰もが知るロシア(現ベラルーシ)出身のマルク・シャガールは、1910年にパリに到着し、5年を経てベラルーシに戻り、ロシア・アヴァンギャルドにも参加しましたが、結局、故郷を捨て、ユダヤ人であることから迫害を避け、アメリカ経由でフランスに居ついた画家でした。
実は死後、巨匠として歴史に刻まれた芸術家たちが過ごした時代は、けっして幸福とはいえない時代で、1914年の第一次世界大戦を皮切りに1945年の第二次世界大戦終結までは、ヨーロッパは戦場と化し、戦争に明け暮れた時代でした。ユダヤ出身の画家たちはヒットラーの登場で逃げまどい、アメリカに非難した者も少なくありませんでした。
実は、無声映画で喜劇役者として彗星のごとく現れたチャップリンは、第一次世界大戦が始まった1914年に銀幕デビューし、暗く重苦しい時代を笑いで吹き飛ばす映画が欧米で受けました。特にヨーロッパでは娯楽というだけでなく、同時代の若い野心に満ちた才能ある芸術家たちにも多大な影響を与えたという視点は、とても新鮮です。
無声映画は、映像の世紀の始まりを意味し、その後、トーキー(有声映画)に移行して、そのエンターテイメント性は増し、今に至っているわけですが、実は無声映画は、より人間にイマジネーションを与える効果があり、特に役者が演じる場面とセリフだけの画面のタウムラグは、まるで挿絵の代わりに映像が挟み込まれた小説を読んでいるようなおもしろい効果があったといえます。
この無声映画を視覚が敏感な画家たちが見逃すはずもなく、さらにチャップリンの極端にデフォルメされた様相や動きは、芸術たちに様々なイマジネーションを与えたというわけです。彼は100年前、芸術家たちに映像で新たな着想に導いた人物だったというわけです。
詩人のルイ・アラゴンは、チャップリンを詩人のモデルと讃え、シャガールはチャップリンの洒落のセンスを羨み、第一次世界大戦で従軍し休暇中だった詩人のアポリネールは、軍の仲間でもあったレジェを映画に連れて行き、レジェはチャップリンのパントマイムから着想を得て、チャッププリンのメカニカルな動きを作品に反映させています。
それはレジェが「バレーメカニック」という短編映画を作ったことでも明らかです。実は皮肉にも新たな未来世界を求めたロシア革命後のロシアの画家たちも、チャップリンが未来を作り出す存在として一時受け止められ、影響を与えたことが記録されています。
産業革命で台頭した反ブルジュワ、価値観の転換を主張するダダイズムの画家たちの間でも、チャップリンはヒーローとなり、シュールレアリスムの画家、ダリは自らチャップリンのようにおどけた姿で登場しました。アレクサンダー・カルダー、ルネ・マグリットなど、様々な芸術家がチャップリンの影響を受けたというわけです。
でも、その背景には戦争に突入し、自分たちの近辺に死の臭いが漂う不安と恐怖と絶望の時代に、笑いで癒しをもたらしチャップリンがいたという側面は見逃せません。ヒットラーや大量生産の産業化社会に危機感を感じたチャップリンの芸術家たちも共感しました。人間は追い詰められた状況で驚くべきイノベーションを発揮することをわれわれに見せてくれたともいえます。
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