Dictator vs Democracy

 国境を越えたビジネスが当り前になりつつある時代、グーグルのような検索エンジン運営会社やフェイスブック、ツイッターなどネットコミュニケーションサービス、さらには映像のストリーミング配信を手がけるNetflixなどは、国境を簡単に越えられては困る言論統制された国にはやっかいな新ビジネスです。

 アメリカとイランの対立で第3次世界大戦が勃発するとまでいわれるほど中東に緊張が走っていますが、実はイランを初め、イスラム諸国はアメリカとはま逆の言論統制の厳しい国です。数年前から反政府デモが起きているイランでは、Netflixのサービスが3年前に開始した一方、2018年にはメッセンジャーアプリを巡る新法が成立し、インターネットの検閲が強化されています。

 言論統制が厳しい国から報じられるニュースは、様々な政府の制限が掛かっているために客観報道は難しく国民の本音を知ることも困難です。許された映像だけで判断するしかありません。今回、イラン革命防衛隊コッズ部隊のソレイマニ司令官をアメリカが殺害したことに強く反発するイラン国民の怒りが同司令官の国葬の様子で伝えられていますが、実態は分かりません。

 イラン政府にしてみれば、今回の事件で国民の目がアメリカに向けられることで、政府の失策を批判する反政府運動を鎮静化できる効果もありそうです。イランの反政府運動もSNSと無縁ではありません。運動を押さえ込みたい政府が検閲を強化すると、反政府側は新しいハイテクツールで検閲をかいくぐるというパターンを繰り返しています。

 イランと対立する親米のサウジアラビアでもNetflixのコメディ番組が2019年初旬、『ハサン・ミンハジ:愛国者として物申す』という番組で、同国の皇太子ムハンマド・ビン・サルマンを批判し、配信禁止になりました。検閲の長い歴史を持つ同国で問題のコメディ番組の配信禁止命令の根拠は、2007年に制定された反サイバー犯罪法違反ということでした。

 サウジ人ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏がトルコで殺害された事件も、サウジの裁判所はサルマン皇太子の関与を否定しましたが、政府に都合の悪い言論人や人権活動家が政府によって拘束され、姿を消した例は枚挙に暇がありません。

 Netflixやグーグルなどコミュニケーションに関わるビジネスは、言論統制と直接向き合うことが多く、場合によってはその国から撤退を強いられることもありますが、他のビジネスでも多かれ少なかれ影響はあります。

 実は表現の自由でいえば、たとえば最もそれが保障されているアメリカでは、コマーシャルや会社案内、学校の教科書などにモデルに白人だけを起用することはできない規制があります。差別を禁止した平等原則があるからです。

 言論や表現の自由といっても、その国の宗教、国家理念、統治体制によって様々な規制があるのは普通のことです。タイでは国王批判は不敬罪で逮捕されます。しかし、言論統制の各国の正当性を全て認めることはできません。最悪なのは言論が封じられるだけでなく、政府に批判的な人々が身柄を拘束され、闇に葬り去られることです。

 デジタル時代の到来で国境を超えた言論の自由空間が生まれたことは素晴らしいことですが、一方でフェイクニュースが流され、ある政治的意図で多くの人を煽動する現象や、言葉の暴力が横行しているのも事実です。韓国のように言論の自由空間でも袋叩きにされ、自殺に追い込まれる国もあります。その意味では単純な自由信奉も考えものです。

 日本人は言論や表現の自由に対して、敏感とはいえません。それは「自由は勝ち取るもの」という意識が低いこととも関係しています。だから、中国が強力な言論統制下にあることに対して、欧米は正面から批判していますが、日本からはその批判の声はあまり聞こえません。

 私は某大手日系企業の生産拠点の閉鎖を手伝った時、あまりに企業側はメディアに対して無神経だったために、企業評価を下げた事例に遭遇しました。SNSがない時代で助かった面もありましたが、ビジネスも言論に敏感でなければ失敗もするということです。

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