クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」は新型コロナウイルス(COVID-19)の集団感染で、中国・武漢の次ぎに世界的注目を集めています。特に日本政府の対応に国外から厳しい視線が向けられ、SNS時代なこともあり、船内の乗客が発信する不満や不安のメッセージに世界は眉をひそめている状態です。
最も急がれる乗員のウイルス感染検疫についても、お隣の韓国メディアは韓国では1日5,000人の検査が可能(本当とは思えないが)などといっている中、日本では1,000人もできない状態という話もあり、専門家でなければ世界第3位の大国なのにと頭を傾げる話です。
もう一つ重要な視点は、横浜港に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号の船内は乗客も乗員も日本人が中心ではない多文化環境だいうことです。私の専門であるグローバルマネジメントの観点からいえば、日本政府は対応で大きなテストを受けているといえます。
まず、船内の意思決定はクルーズ船の運営主体であるアメリカに拠点を置くプリンセスクルーズ社に最終権限があり、日本の支社は客集めの販売が中心です。そのため船内のコントロールは日本政府にはできません。乗客も多国籍で今回ウイルス感染の報告もある乗員も多国籍です。そのため日本の各国大使館は心配そうに乗員のケアにあたっています。
海外からの日本の対応に対する批判の中心は、一貫性に乏しく、体系化されていないことです。未だに正体不明のウイルスとの戦いは、対応が後手後手に回ることもありますが、結果的に船内がカオス(混沌)状態に陥っているのは確かです。
ロシアは政府として日本政府の対応を厳しく批判している他、アメリカ人乗客の感染も相次ぎ確認される中、アメリカの世論も日本政府が船内に乗客乗員をとどめる対応をとっていることを強く疑問視しています。日本などが入港を拒否したクルーズ船「ウエステルダム」の入港を認めたカンボジア政府に対して、命の危険に晒されていた乗員の感謝はあまりにも大きいものでした。
今やダイヤモンド・プリンセス号は中国・武漢に次ぐ「第2の感染中心地」といわれており、日本は世界的に評価される対応を取れなければ、中国の対応を批判する資格は失うでしょう。そこで注目すべきは、今回の注目点はグローバルリスクマネジメントで日本の遅れが目立つ点です。
つまり、欧米諸国に比べ、国内のリスクマネジメントでは、大震災も経験し、SARSの拡散の時も世界的に最も感染者数が少なかったという意味で、優れた医療システムを持っていることが証明されています。ところがダイヤモンド・プリンセス号には、グローバル対応を求められており、そのマニュアルは整備されていません。
政府の対応は法律やルールばかりが表面化し、日本政府が何をしようとしているのか、その意志が見えてきません。マニュアルが整備されていれば、危険度に応じた適切な対応は速やかに合理的に行われるはずですが、そうはなっていません。
たとえば、武漢の邦人を日本国内に帰国させる費用も最初は個人負担とされ、批判を受けて政府が負担することになりました。邦人救出という日本政府にとって極めて重大な問題にマニュアルがない証拠です。2013年に起きたアルジェリアの天然ガスプラントで起きた人質テロ事件では、情報収集能力も救出方法もマニュアルがないことが露呈しました。
今度のダイヤモンド・プリンセス号対応は、加えて外国人の人命に関わる救出も含まれており、迅速で的確な対応ができなければ、日本の評価は下がることは確実です。そこで問題になるのが日本が本当に「国籍に関わらず人間が人間らしく生きる権利を中心に物事に対処しているか」ということです。
政治的判断は法律に従うだけではできません。時には超法規的対応が必要だったり、緊急に法整備するのが政治家です。役人仕事ではリスクマネジメントはできません。そこには強い意志が必要で批判されるたびに方針を変えるようではカオスに陥るのは時間の問題です。
ここにおもてなし精神があるとすれば、武漢からの帰国者を収容していた勝浦の地元の人たちが宿泊していた人々を励まし続けたことです。ここには金銭とは関係ない心がありました。おもてなし精神が損得の金目的かどうかが今回は政府に向けられているということです。
今の時点では、その心はダイヤモンド・プリンセス号の乗員、乗客には伝わっているとは思えません。たとえばフランスは武漢からの帰国者に南仏のヴァカンス用のコテージを与え、広々したスペースと自然があり、感染度が低い若者はテニスを楽しみ、ストレスを最小限に抑えることに努力しました。結果、感染ゼロで開放されました。
人間が中心であるかは、リスク対応マニュアルにも現れるとことです。今問題になっていることの一つは下船させるかどうかです。豪華船とはいえ、同じ部屋に軟禁状態にあるのは非人間的です。各国は日本政府に自国民の下船要請を行っていますが、本来は要請される前に対応すべき問題だと思います。
多文化対応という意味でも、人間という普遍性にどこまで答えられるかです。アメリカ人は文句をいうので下船させるが、タイ人は我慢できそうなので下船させないというような差別的扱いは許されません。乗員と乗客の差別も決してあってはならないことです。
ここで島国日本の排他性が出てしまえば、東京五輪の躓きの種にもなりかねません。貧しい国からの出稼ぎで船内で働く船員たちも命の危険に晒されながら、乗客の世話に追われています。答えは速やかな下船なのでしょうが、日本人を優先し、適切は人間対応にはなっていません。非人間的という烙印を押される前に、迅速な対応が求められていると思います。