ある調査によると約70%の日本人がコミュニケーションは苦手と答えているそうです。集まった仲間で会話が弾む雰囲気なのに、そこに入っていけないとか、仕事での行き違いが多いとか、いいたい事をうまく相手に伝えられないとか、コミュニケーションを取る事が苦痛になっているケースは少なくないようです。

 無論、コミュニケーションが得意そうなフランス人にも人間関係を作るのに苦労している人は少なくありません。フランスの大学で教鞭を執っていて発見した事は、意外と孤立している学生が多い事でした。欠席している学生に課題プリントを渡すのに出席している学生に頼むと「彼の事は知らない」などといわれるケースは少なくありませんでした。

 しかし、フランス人が日本人と決定的に違うのは個が確立しているので、自分のいいたいことを相手に伝えるスキルは日本人より高いと感じます。仕事ができる人間でコミュニケーションがうまくとれないフランス人は、特殊な技能職を除き、皆無といえるでしょう。
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 日本人同士でもコミュニケーションが苦手なわけですから、異文化コミュニケーションのハードルが高いのは当然です。某大手IT企業で異文化コミュニケーションの研修を担当した時、「異文化って本当に面倒くさいですね」といわれて驚いたことがあります。

 彼は職場でもプライベートでも、いわゆる知らない外国人と会うと、早くその場から逃げたいと思うそうです。「もし、あなたの上司が外国人だったら、どうですか」と聞くと、「まったく自信がない」「相当なストレスになるでしょう」という答えが返ってきました。

 一方、会議を英語で行う様なグローバル企業をめざす大手の日本企業で、英語に自信満々の社員がヨーロッパに送り込まれ、ナショナルスタッフとまったくうまくいかず、結果が出せずに苦労している話もよく聞きます。頭ではグローバル化しているつもりが、人間力が十分についてこない典型的パターンです。

 実はカルチャーダイバーシティは、成功すれば大きな結果を出せる一方、高いリスクも伴います。カルチャーダイバーシティのメリットは、新しいはっ背負うが得られる、考えつかなかった問題解決の方法が得られる、ゼロベースで物事を考えられるなどです。

 一方、デメリットは一体感を得にくく、摩擦や対立が起きた場合、同国人同士より関係が悪化し混乱する事で成果を出せないことです。世界を見渡せば国家や民族同士の対立が絶えない現実はどこにでもあります。米中対立も互いの無知による不信感が関係を悪化させているのは明白です。

 ところがビジネスは目の前の成果が問われるので、対立していては結果が出せません。私が日頃感じるのは、コミュニケーションが苦手な人たちは、相手と良好な関係を築きたいと思っていない場合が多い事です。

 1度駐在経験のある日本人を調査したことがありますが、帰国後、駐在先だったナショナルスタッフと個人的関係を続けているかという質問に「イエス」と答えた人は非常に少なかったことです。帰属意識が強い日本人は仕事仲間でも配属が変わると関係が切れてしまうケースが少なくありません。

 ましてや海外人事では、帰国後人間関係が続く可能性は皆無なのかもしれません。あるアメリカ人が日本に5年駐在し、日本人の方がアメリカ人よりはるかに個人主義だといったのは、そんな理由があったからかもしれません。

 コンテクストが異なる人間同士の協業がカルチャーダイバーシティです。「異」をネガティブにとらえるのではなく、ポジティブに捉えなければ、成果は出せません。コンテクストに大して違いのない日本人同士でも、微妙な「異」にストレスを感じるわけですから、異文化耐性がないのは当然です。

 そこで「異文化は面白い」、「異文化は楽しい」というマインドセットが必要ですが、ハイコンテクストの忖度文化に慣れた日本人にはハードルが高いといえます。無論、日本人でも異文化を楽しめる人はいます。そんな人はまず、オープンマインドだということと、「異」に対して好奇心が強いことです。

 さらに人間同士の関係作りを大切にして生きている人が多いのも特徴です。最近、日本に受け入れたベトナム人の教育に当たる某企業の担当者が「ベトナム人は日本人より扱いやすい」「仕事への責任感も強い」といっているのを聞きました。50代の彼自身は海外に出たことのない超日本人ですが、人情味があり、人間を見る目がある人でした。

 もし文化の全てが違っているなら共存は難しいでしょう。不信感が増幅するだけです。しかし、表面的な違いとは別には共有、共感できるものは必ずあります。実は今、コロナ禍を世界が共有していることで、人と人の接触は困難でも地球上の全ての人が同じ体験をする、極めて稀な状況にあります。

 ポストコロナは人と人の関係がますます希薄になるのではと懸念する声もある一方、新型コロナウイルスという共通の恐怖や不安を味わっているのは、稀で貴重な体験かもしれません。私は「異」のネガティブなものより、ポジティブな要素が拡がることをポストコロナに期待しています。

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