UK brexit

 日本ではクリスマスツリーは、クリスマスを過ぎるとさっさと片づけられ、新年の準備が始まりますが、欧米では1月中ごろまでツリーを飾ったままの家が少なくありません。私が30年前にフランスに引っ越してきて最初に驚いたのは、1月2日には皆職場に戻ることでした。

 新型コロナウイルスの猛威に苦しんだ今年のクリスマスイブ、欧州連合(EU)初となる加盟国・英国の離脱手続きに終止符が打たれました。双方の通商交渉が合意に至ったからです。ジョンソン英首相は、今年最大のクリスマスプレゼントだと自画自賛しました。

 ブレグジットの最後は暗く長いトンネルの中で、時には出口を見失い悲観論がひろがり、時には交渉疲れで投げやりになりそうでした。英国とEUが離脱協定法を正式に承認したのは、今年1月末、1月31日に離脱し、12月31日までの移行期間に入りました。

 本当はそれまでに通商協定も結ばれるはずでしたが、1月までに合意に至らず、ブレグジット最大の課題でもありました。これは日本にとってよそ事ではなく、欧州に進出している日系企業には深刻な影響をもたらすだけでなく、日本の英国の外交の仕切り直しも大きな課題でした。

 英国はEUに離婚を叩きつけた側で、離婚後も最も重要な貿易相手国としての関係を維持し、関税導入回避など、できるだけ好条件での離脱を模索してきました。出ていかれるEUは、英国との特別な関係は維持したいものの、EUの基本原則やルールを曲げる気はありませんでした。

 欧州議会が離脱協定法を承認した今年1月29日、欧州議会の英離脱問題対策グループの座長を務めるフェルホフスタット議員は、ブレグジットを「EUの失敗だ」とツイートしました。EU側も気持ちが伝わってくるものでした。

 そもそも離脱協定法を成立させるまでの道のりは長く、2016年、英国が離脱の是非を問うた国民投票から3年半が経過していました。EUにとっては、英国は1973年にEUの前身、欧州共同体(EC)に加盟した古参のメンバー国です。EUの当惑は相当なものでした。

 英国側も前例のない初めての加盟国離脱でしたが、国内の残留支持派の抵抗で迷走し、強硬なハード離脱とソフト離脱で国内の葛藤も相当なもので、英国議会前は残留派の旗がこの4年半、はためきました。

 欧州側は離脱国が出ることで、拡大と深化を遂げてきたプロセスが一転し、近年台頭する反EUのポピュリズム政党によって、離脱ドミノ現象が起きること恐れました。EUはイラク戦争やリーマンショック、ギリシャの財政危機や、移民大量流入で安全保障、外交、経済、移民政策でEUが一致行動をとれず、何度も試練に直面してきました。

 加盟国の間にはブリュッセルのEU官僚たちが一方的に政策を押し付けることへの不満が噴出し、EU政策も単一通貨ユーロも国益に沿わないという批判が加盟各国で起きていました。その矢先の英国の国民投票での離脱決定は、EUには過去にない厳しい試練でした。

 実はEUは今回のコロナ禍でも統一した行動はとれておらず、各国はバラバラに対応し、域外からの感染者流入を止められていません。これはEUの漸弱さを露呈させたものです。

 一方、英国には社会民主主義の尾を引きずる仏独主導のEUに不信感があり、何か重要なことを決めるごとに英国は違和感を感じてきたのは事実です。国民感情が離脱に傾いたのは、ハンガリーやポーランドから同じEU市民として働く権利を持つ労働者が英国に流入し、シリアやイラクから難民が押し寄せ、EUがとった移民・難民政策に危機感を抱いたのも事実です。

 それにギリシャの財政危機が引き起こしたユーロ不安の外にいたユーロ非導入国の英国は、財政政策で国内外にうそをつき続け、財政破綻の救済においても傲慢な態度をとり続けた、不真面目な加盟国ギリシャに呆れ、EUへ憎悪も高まりました。

 自由市場主義の英国は、何かと国家が管理したがる大陸欧州に比べ、小さな政府を追及し、民意の尊重が絶対的でした。

 英国は2020年12月31日をもってEUを完全離脱する初の国になります。離脱派の中心にいた英国のゴーブ内閣担当相は、通商交渉が合意に至ったことを受け、26日付の保守系英日刊紙、ザ・タイムズに寄稿し、「EU通商協定により、英国とEUは“特別な関係”を享受し、国民投票以来の「醜い」政治に終止符を打つことができる」と書きました。

 酷い政治とはゴーブ氏によればこの4年半、英国では「友情は対立に代わり、家族内も分裂し、政治も荒れて時には醜いものになった」ことであり、ゴーブ氏自身も「古い友情は崩壊し、最も近い人々は彼らが予期しなかった圧力に耐えなければならなかった」と説明しています。

 「(EUは)現実には非常に多くの英国人の生活を侵食、支配した。法律は英国民が選出していない人々によって作られ、規則は英国民が変更できない機関によって定められ、権力は説明責任なしに行使された。国民の声はあまりにも頻繁に無視された」と書きました。離脱派の主張してきた内容です。

 英国にとって、EU離脱は欧州との新たな関係構築だけでなく、分断した英国民間の和解の努力を始めることを意味します。そのためには離脱を主導したジョンソン政権が、離脱が正しかったことを国民に納得させる必要があるわけです。

 今回の通商交渉の合意で、新たに貿易に関税が導入されることは回避されましたが、1月1日から、企業と個人は新しい通関手続きと国境手続きに適応する必要があります。協定はその移行で発生する混乱を最小限にする努力をしましが、それでも混乱は避けられないでしょう。政治家たちはITシステムの導入など新しい貿易インフラの準備に取り組む必要があります。

 通商交渉の最終盤、英国・EU双方の葛藤は頂点に達しました。EUにとっては単一市場の原則である「人と物とサービスの自由な移動」を保障し、公平で統一された規制を守るための戦いでした。英国は主権回復を最優先にEUとの貿易慣習のメリットを生かすべく、EUに規制の壁を下げるよう迫り、EUに対して最後まで譲歩の気配を見せませんでした。

 タイムプレッシャーをかけ続けたジョンソン氏は「素晴らしい合意」と自画自賛しました。しかし、双方の交渉担当者らがブリュッセルで不眠不休の末合意した後、コロナ感染対策の規則で保ってきた1.5mの距離があったとはいえ、握手も祝杯もなく、退席もせずに互いを見つめあっていたことが何を意味するかが今後問われそうです。

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