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 東京五輪・パラリンピックの組織委員会の会長人事を外野で見ていて感じることは、日本文化がいい意味でも悪い意味でも色濃く残るスポーツ界で、組織やリーダーシップのあり方だけでなく、世界の中での日本社会のありようが過渡期にあるように感じます。

 確かに森会長の失言は糾弾されても仕方ないことでしょうし、自民党の古い政治スタイルしか持ち合わせていない人物には、グローバル化した時代環境にそぐわないのは事実でしょう。しかし、それは彼一人の問題ではなく、彼だからこそ動いてきた組織委員会を取り巻く環境もあったのも事実です。

 私は組織委員会の最も重要な使命は、東京五輪・パラリンピックで掲げたヴィジョンの実現です。そこにはIOCが掲げる本来の人種や宗教、ジェンダーを超えて公正さを担保してスポーツを行うことで世界の平和を促進するという五輪本来の理念も当然含まれる話です。

 その五輪の普遍的理念を最も死守しなければならないのがトップの役割であり、政府と東京都、各省庁、地方自治体、スポーツ界、民間企業を調整することが先にあるわけではないはずです。企業もトップの最大の責任はヴィジョンの提示とその実現に向けた努力以外にありません。特にコロナ禍の五輪は国民の心を火を点ける必要があります。

 各省庁の縦割り行政、政府と東京都の対立、各組織の利権を調整するのは、今の日本では森さんのような人脈が豊富で威圧的な剛腕指導者がいいという考えがあります。しかし、その考えに欠けているのはヴィジョンへのこだわりです。東京五輪開催を勝ち取った時のヴィジョンを変えてはいけないはずです。ヴィジョンの効用は全ての人の心を一つにすることです。

 その意味で最も参考になるのは、2012年開催のロンドン五輪だと思います。一つは産業革命以来の多人種、多文化によるダイバーシティによって発展してきた英国を世界に示すことで開会式のショーで明確にしました。競技においてはジェンダー差別に配慮し、男子のみしかなかった野球と女子のみしかなかったソフトボールを排除するなど徹底しました。

 イスラム教のラマダンの時期と重なったため、出場選手が断食で公正さを欠くとの抗議にも答える必要がありました。そして何より、貧困者、人種的マイノリティー、障がい者などの弱者への配慮は一貫しており、メインスタジアムをロンドン東部の黒人が多く住む貧困地区に建設し、町の大規模な再開発を行い、パラリンピックの閉幕後のパレードは歴史的盛り上がりを見せました。

 五輪精神を徹底して追及したロンドン五輪は、過去にない高い評価を得ました。これは英国が国家として追及している理念とも一致しているからともいえます。それが国内と世界が直面している問題に未だ乖離のある日本での五輪では問題にならざるを得ないということです。

 人種、宗教、ジェンダー、弱者といった問題が、社会生活の主要テーマになっていない日本だからこそ、五輪の理念を簡単に踏み外す失言がトップから飛び出したといわざるを得ません。

 実は五輪に関わるアスリートたちの方が圧倒的に国際経験が豊富で、世界の実情を肌で感じているはずです。その一方で、相も変わらない監督や先輩によるパワハラが日常化している旧態依然とした日本のスポーツ界に身を置く彼らの葛藤は大きなものがあるでしょう。

 今回の組織委員会の会長人事で、欧米式のガバナンスをもっと導入すべきだという意見と日本は独自のやり方を貫くべきだという意見があるようですが、問題の本質は五輪のめざす普遍的理念と日本人の意識に乖離があることだと思います。

 私の著書に推薦の言葉を書いてくれた評論家の故堺屋太一氏には失礼ですが、彼はあるテレビ番組で大阪万博について話している時に「ヴィジョンやコンセプトなんてどうでもいい」と言っていました。問題はどう具体化するかだという意見ですが、これこそ手段が目的化する超日本的な発想だと思います。

 画家は絵を描く時に、まず構想を頭に浮かべます。描きながら新たな発見はあったとしても、構想を持たない偶然に支配される絵は大したことにはなりません。偶発的に得られることも最初の構想の中に取り込むべきもので、構想は安易に変更したり無視していいということはありません。

 確かに組織委員会のトップには交渉力や調整力は必要でしょうが、それも協力を仰ぐ様々な個人や組織とヴィジョンを共有できてこそ可能になることです。「あの人に言われたら断れない」レベルで全体を動かす話ではないと思います。国民の7割が五輪開催に消極な現状からすれば、ヴィジョンで説得し、前向きにするしかないはずです。

 そういうと「綺麗事を言っても仕方がない」という人は多くいますが、五輪の精神に国民が共感できず、それが綺麗事というなら、五輪なんてやる資格はそもそもないと私は思います。五輪を経済効果や国の威信を世界に示すレベルでしかとらえられない国では、やるべきではないでしょう。誰もが五輪を開催すべきという気持ちにさせるのがトップの最重な役割なはずです。

 無論、高い理想を持つ五輪開催で国が少しでもいい方向に変わることを期待する側面もありますが、国内で人権弾圧しながら、国際社会の批判を内政干渉と反発するような中国やロシアのような国で開催するには、IOCの余程の強固な姿勢が必要になる話だと思います。

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