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 日本に住む古い欧州系製薬会社でトップとして働く友人のフランス人が、転職を考えている有能な日本人部下の一人が「会社辞めてもいいですか」と聞かれ、驚いたという話をしていました。「会社を辞めたいではなく、辞めても大丈夫ですか」と聞かれ、耳を疑ったといいます。

 フランス人なら「自分を高く評価して、それなりの待遇で受け入れる企業があるので辞めます」とか「興味深いポジションを提示されたので辞めます」などといい、部下に本当にとどまってほしい上司は「どんなポジションと待遇を希望しているのかね」と聞くことで交渉が始まるのが普通です。

 何度か過去にも同じような話を聞き、改めて日本人の組織や集団へのエンゲージメントの高さに驚いたことがあります。日本人の帰属意識の強さ、組織への強い忠誠心は本来、家社会にルーツをたどることができ、それが組織を支える強みとされ、マネジメントを容易にしてきました。

 しかし、そこから編み出された終身雇用が消えつつある今、転職が当たり前になる時代に移行する中で、日本でも個人と組織の関係が問われています。実は世界の文化とマネジメント方法の関係を長年、研究してきた私からすれば、日本が大きな過渡期を迎えていることだけは確かです。

 まず、最もマネジメント手法が遅れているといわれる政治の世界をみれば、それが日本の本来の原型であることは容易に理解できます。菅総理を筆頭に自民党長期政権の政治手法は、組織や集団の管理を最優先することです。政府は「国民目線」などといいますが、重視しているのは組織です。

 非常に多い業界団体、東京五輪でいえば競技団体など、利権を追求する組織や集団の長を向いて政治を行うことで、最もパワフルな組織票が選挙で得られるという構図です。それが日本の民主主義であり、家社会、村社会といわれたルーツを持つものです。

 個人の実力より、どの組織を代表しているのかが重視される社会でした。当然は人を評価する場合は、組織の属性が第一です。政治家の基盤は族議員という言葉に象徴される業界を代表したものです。

 これを欧米と比べれば、たとえば日本のリベラル勢力が好んで使う「市民」という言葉があります。人間は会社や組織に所属する前に、一人の市民だという意識です。その考えの強いフランスでデモが多いのは、組織を代表してデモに参加するだけでなく、共感すれば誰でもデモに参加する傾向があることです。

 国民とか市民という場合は、そこには二つの顔があります。一つは会社や組織に所属した顔であり、もう一つは個人や家族を代表する顔です。日本は前者の意識が強く、過去はその価値観が日本の行動規範を形成し、日本企業の強みでもありました。

 しかし、東京五輪・パラリンピックを見る限り、政治的理由を排除したとしても、政府という巨大組織に忖度するなら、あくまで開催を圧倒的多数が支持するはずですが、コロナ禍で7割以上の人が消極的になっています。政府では中止は禁句だとしても国民はポジティブになっていません。

 その場合の国民は、けっして組織や集団を代表した個人とは思えません。あらゆる組織や集団の頂点に立ってマネジメントしている政府に忖度している意見とは思えないからです。それぞれが自分で空気を読み、言葉にできなくてもなんとなく「無理では」と感じていると見えます。

 東京五輪・パラリンピックは、その意味で日本社会に大きな課題を突き付けているといえるでしょう。政府や関連団体、利権団体がいいと思っても、組織の1部でない個人として国民の合意なしには開催されないのが五輪精神です。その精神によって旧態依然とした古い組織管理のマネジメントが通用しないことを露呈させていると私は見ています。

 つまり、組織と個人の関係で大きなパラダイムシフトが起きようとしていると見ることができます。それは民主主義の成熟過程で避けて通れないものでしょう。組織の長(おさ)に顔が利く古だぬきのような実力者と呼ばれる政治家で物事が動く時代は終焉しようとしているということです。

 無論、だから欧米に追随すればいいとか、欧米にはその慣習はないのかといえば、ないとは到底いえません。ただ、これを機会に社会を改善し、進化させるのか、それとも後退して衰亡していくのかの岐路に立っているといいたいのです。

 その意味でネガティブな面を見るのではなく、未来志向であるべきだと考えています。個人と組織がWin Winの関係になることが重視される時代は、希望のある時代であることは確かです。

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