100年以上、個人所有で一部の親族や友人しか目にしたことのないヴァン・ゴッホの1887年の作品が、競売会社サザビーズによって3月に競売にかけられるそうです。それを前に作品が公開されました。フランスから門外不出だった作品は、まだ当時、片田舎だったモンマルトルの何気ない風景画です。
正直、なんともいえない温かいものを感じ、印象派の先駆的存在のピサロにも共通する雰囲気を感じます。それは素朴で暗い色に覆われた絵が多かったオランダ時代でも、南仏プロヴァンスに引っ越し、その後、パリ郊外で37歳の若さで他界する時代の感情を絵筆に叩きつけたような作品とも違う穏やかなものです。
同時に生前に評価されることこともなく、作品が売れることもなかったゴッホが後世において、最も高額で作品がオークションなどで取引される巨匠になったことを裏付けるものも感じました。内に秘めた天性の人の心をつかむものを持っていた稀有な画家だったことを強く印象付けるものです。
作品自体は伝統的な写実主義から印象派の影響を受けてはいるものの、非常に丁寧に描かれたものです。しかし、彼の全作品に見られる物語性や感情が込められ、味のある作品に仕上がっているように見えます。日本人ならどぎつい原色の糸杉やヒマワリのゴッホ作品より感性的には相性が合うかも知れません。
朽ちた風車は、モンマルトルの丘の当時の様子をよく表しており、ゴッホには珍しく子供も描かれています。恋人か夫婦と思われる男女もいい雰囲気で歩いています。なにより繊細さが伺えます。ゴッホが1886年と1887年に弟の画商のテオと一緒にパリに宿泊中に作成した一連の作品の1つですが、この短い期間はゴッホが穏やかな心で過ごせた期間かもしれません。
下世話な話としては、落札予想額は約800万ユーロ(約10億円)と推定されていますが、中国の収集家がつりあげる可能性も指摘されています。投機目的ならプロヴァンスで描いた風景絵画の方が資産価値があるといえるかもしれませんが、ゴッホファンには魅力的な作品です。
産業革命と科学の台頭する時代、古典的絵画が死滅し、新しい美術運動が次々に生まれるパリには、才能と野心溢れる様々な国籍の画家が集まっていました。しかし、ゴッホがパリに滞在したのは短期間であり、南仏アルルへの移住した後、ブルターニュに住んでいたゴーギャンに送った手書きにプロヴァンスを「日本の浮世絵のように美しい」と書き、ゴーギャンはアルルに移り住んだのは有名な話だ。
ただ、ゴーギャンとはそり合わず、最後は自分の片耳を切り落とすほど怒りの感情に覆われ、精神療養所に入れられ、最後はパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズでオランダの風景を思い起こしながらも自殺(他の説もあり)して世を去りました。
私は個人的にピサロのファンですから、ゴッホのこのような作品に接すると共感を覚えるとともに、100年以上も作品が知られていなかったことに感慨深いものを感じます。
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