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 今でも根強い人気のモネの「睡蓮」、印象派絵画の100年を超えて愛されている

 新型コロナウイルスの脅威に襲われて1年以上が経ち、世界で330万を超える死者を出し、統計上では終息に向かっているなどとは到底言えない状況です。そんな中、多くの人は命は失わないにしろ、感染への恐怖、活動や移動制限、生活不安などから精神的ダメージを受けているのは間違いないでしょう。

 そこで聞かれるのは「アートの力」です。ふさぎ込んだ時に音楽を聴いて元気になったとか、美しい絵を見て癒されたとか、「アート効果」が語られています。コロナでなくても日常生活に活力を与えるために居酒屋で日頃のストレスを発散したり、パーティーを開いたりして元気を保つことはしています。

 その中に好きなアーティストのコンサートに行ったり、芝居を観に行ったり、スポーツ観戦したり、美術館に行ったりすることも含まれるでしょう。そのキーワードの一つは「感動」であることは間違いありません。感動は癒しにも繋がり、生きるモチベーションを高め、レジリエンス力強化の効果もあります。

 そのため、コロナ禍でまるで牢獄に閉じ込められた感のある生活や、リモートワークでモチベーションが下がり気味な日常に、アートの力が再注目されているというわけです。しかし、アートといっても範囲は非常に広く、メディアの多様化で表現方法も広がりを見せており、特にデジタル化が進んだことで手軽感も増しています。

 日本にはアートに関わる素晴らしい生活習慣がありました。その一つが床の間です。1畳床からせいぜい2畳足らずのスペースの床の間は、自宅の美術館、劇場でした。季節の花を生け、自慢の焼き物を飾り、掛け軸も掛けかえられ、出し物を変えながら、アートを愛でる習慣がありました。

 今ではその床の間のスぺースそのものがなくなりつつありますが、世界にはないアートを愛する習慣だったといえます。それは中間大衆層が圧倒的多数を占める社会の出現で抹殺された感もありますが、コロナ禍でアートの存在が見直される中、新たな存在価値を見出しつつあるのかも知れません。

 それもとっつきにくい高尚なアートではなく、より身近で誰にでも楽しめるものが求められていると思います。今から120年以上前の19世紀後半、産業化で人が大都市に集中するようになる中、絵画は手軽に自然を都市の中で手に入れる存在でした。テレビもなく、映像の世紀以前の話です。

 パリで毎年開催されていたサロンには大量の絵が展示され、上流階級だけでなく、一般大衆も訪れました。この時代に生まれたのが印象派で、実は今でも印象派絵画は美術市場で最も高くで売り買いされ、最も人気の高いカテゴリーです。優れた画家の感性で自由に人間や自然を描き、それも科学的な根拠も踏まえた新しい絵画運動は、権威主義のサロンを吹き飛ばす存在になりました。

 その後、今に至るまで誰もが楽しめる絵画様式は登場していませんが、コロナ禍で「感動」「喜び」「癒し」「レジリエンス」が重要さを増す中、そろそろアートも新しいものを生み出す時が来ているのかもしれません。同時に参加型アート、つまり、日常でもビジネスでもクリエイティブな活動が注目されているといえます。

 実はアートには国境も人種も貧富の差も言葉の壁も最初からありません。ダイバーシティを含み、普遍性も含んでいます。だから、ビジネスにダイバーシティを取り込みたいのであれば、アートを導入するのが最も効果的です。今はユニークで今までにないものを生み出した方が勝ちです。

 そのためには日常がクリエイティブであるべきです。クリエイティブを支えるのは喜びの追求でありそれをもたらす自由も必要です。ポストコロナで心が躍るような新たな世界を見たいものです。