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 この30年、リーダーシップといえば、ヴィジョンやコンセプトの重要さが叫ばれてきました。ところが実際には立派なヴィジョンやコンセプトはあっても、現実の重圧の中でそれを具体化するうちにヴィジョンは忘れられがちです。その典型が東京五輪・パラリンピックです。

 東京五輪・パラの当初のヴィジョンは「スポーツには、世界と未来を変える力がある」「東日本大震災から復興した日本を世界に示す」ことでした。つまり、困難や脅威に直面した状況に対して、うまく適応できる能力、回復力を意味する日本のレジリエンス力を世界に示すという意義は、新型コロナウイルスの感染拡大による困難に直面した世界にも勇気を与えることに繋がる内容があったわけです。

 ところがコロナ禍の1年が経ち、最近、英国で開催された先進7か国首脳会議(G7)で、菅首相は「安心・安全の徹底」を強調し、G7の側はコロナ禍からの復興に弾みをつける意味で全首脳が支持を表明しました。菅氏の口から東日本大震災からの復興のヴィジョンが語られることはありませんでした。

 前回の東京五輪は、敗戦から見事に復興した日本を世界に示すというヴィジョンは最後まで健在でしたが、今回は森氏率いる東京五輪組織委員会や主催者の東京都の小池知事からヴィジョンへのこだわりは感じられませんでした。

 今ではコロナ禍でも五輪がやれたというのがヴィジョンになり、状況の変化にうまく対応したようにいわれるかもしれませんが、では東日本の人は五輪開催獲得のために利用されたということなのでしょうか。そもそもマラソンを東京から北海道に移した時に、なぜ震災で被害を受けた青森や岩手ではないのか疑問に感じました。

 プロジェクトの成功の是非にヴィジョンは絶対的に必要です。それは実現プロセスで状況の変化に応じて柔軟に方法論を変えることとは同列に扱われるべきものではありません。たとえば、久々にG7で中身のある共同声明を引き出せたといわれるのは、議長国のジョンソン英首相が示したコロナ禍から「より良く復興する」ために弱者への支援を増強させるというヴィジョンがあったからです。

 世界のことを話し合うといっても、国益がぶつかる7か国が、反対できない目標を掲げることが唯一まとまる方法です。その意味ではジョンソン氏は高く評価される「いい仕事」をしたといえます。これがバイデン米大統領が主張する中国封じ込めがヴィジョンだったら、まとまらなかったでしょう。

 日本は変えてはいけないヴィジョンも状況が変化すれば簡単に変えてしまう習性があります。過去の教訓からいえば、ヴィジョンを気軽に変えてしまっていい結果が出た試しはありません。今の日本の弱さは、ヴィジョンを見失ったことにあると私は見ています。

 皮肉なことに日本には大義名分という言葉があります。大義名分は大切だと考えられています。ところが大義名分はともすれば「掛け声」だけで飾りでしかないのも事実です。今はデジタル革命の時代だという大義名分の中身の検証を十分に行わず、DXで失敗している例は山ほどあります。

 目的と現実が遊離してしまっていることが原因で、物事を本質的に捉える能力に欠けているといえます。具体化する能力に長けていても目的意識がなければ、目標達成には至りません。その意味では五輪の崇高な目的を達成するためのヴィジョンを思い起こす必要があると思います。

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