今や「盛り上がりなし、東京五輪・パラリンピック」(仏公共TVフランス2)と海外メディアに報じられ、日本国民が支持しない五輪・パラという印象が世界に広がっています。「安心・安全」のむなしい声は、新型コロナウイルスのパンデミック・リスクを上回る意義と価値を見失ったかのようです。
日本政府は言うでしょう。「2018年の日本開催のラグビーのワールドカップ同様、始まるまでは関心が薄くとも、始まれば、世界の1流アスリートが盛り上げてくれるから心配ない」と。だから、政治的には国民が最も心配する安心・安全に集中さえすればいいとの結論なのでしょう。
以前、このブログで紹介したパリ商工会議所が作成した外国人観光客への対応表で、日本人が最も重視するのは「安心・安全」でした。不確実な要素に非常に強い不安やストレスを感じる日本人の国民性は証明済みですが、今回もコロナリスクの不確実要素を心配し、政府は早速、安心・安全を強調しました。
そもそも安心・安全はアスリートにとっても観客にとっても主催者側が担保する最低条件です。どんなことでもリスクマネジメントは必要です。しかし、それはあくまで大会自体がリスクを抱えたとしてやるだけの価値があることが前提でしょう。ビジネスの世界でも国内よりはるかにリスクの高い海外に進出するのは高い利益を得るためで、そのためのリスクマネジメントです。
意義と価値を見失った大会でリスクマネジメントが前面に出るのはおかしな話です。実際、東京五輪への共感と支持がなければ、リスクは抑え込めないはずです。なぜなら、人の意識が一つになることがリスクマネジメントの基本だからです。
リスクやクライシスに遭遇した時、必ず意思決定の場面に遭遇し、その優先順位を決めるのは意義と価値が決定的な影響を与えます。それに権限と責任の明確化という意味で、ウガンダの選手と関係者の入国で、早速、感染者が見つかり、その処理を巡って国とホストタウンの役割分担が問題になりました。
今回の五輪・パラの安心・安全の確保にとって、最も重要なものの一つが水際対策。海外からの入国者の管理は最重要課題にはずです。なのにホストタウンの感染濃厚接触者の認定と対処を一任するというのは愚かというしかありません。なぜなら国際経験が薄く情報も少ないホストタウンの保健所に判断する能力も適切な対処もできないはずだからです。
水際対策もバブル方式で選手団を包み込む方法も、一元管理が必要で、常に監視しながら、毎日発生する想定外の事態を学習しながら、改善を繰り返す必要があります。なぜなら異文化対応は容易なことではないからです。日本人のようにルールを守る国民は稀であり、予測のつかない行動も十分あり得ます。
日本はおもてなしに自信を持っているし、世界的にも高い評価を受けていますが、今回の状況は極めて特殊です。ホストタウンが異文化対応に慣れているとは到底思えません。思わぬ衝突や事故も起きるかもしれません。
外国人の日本に対する不満は、言葉の問題もあって意図や要求が伝わりにくいこと、説明不足な場合が多く、マニュアル通りの対応しかせず、冷たく感じる場合があることです。決まりを過度に重視する日本人の常識の押し付けも問題です。異文化(イスラムなど)への理解が薄いのも問題です。
ホストタウンはそれらを認識し、選手や関係者とのコミュニケーションを十分にとれるかが課題です。リスク管理の厳しいルール適応で善意は伝わらない可能性もあります。ただでさえハイコンテクストで独善的な日本で、さらにハイコンテクストの地方の小さな町で対応できる能力は限られるでしょう。
その意味では、少なくとも水際対策とバブルの管理運営は、国の一元管理が必要です。ウガンダ問題で露呈した役人関係者の認識のばらつきは、今も強く存在する縦割り行政の弊害から発生したものと見られます。特にリスクマネジメントは意思決定プロセスが一元的でクリアになっていることが基本です
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