2022年は新型コロナウイルスの変異株である「オミクロン株」によるパンデミックで幕開けしました。昨年秋にはワクチン接種が進んだことで、コロナ禍は終息するはずでしたが、重症化リスクが低いとはいえ、過去最も感染力の強いオミクロン株に世界は苦しんでいます。
これはコロナ禍の最期の試練と受け止める人は少なく、ウイルスに対するワクチンや公衆衛生対策による戦いは、まだまだ続きそうです。それでも過去、5,000万〜1億人以上の死者をだした100年前のスペイン風邪が3年後に終息したことを考えれば、今年の終息が期待されます。
近年、注目を集める持続可能な開発(SDGs)は、すっかり社会に定着しようとしています。この言葉そのものに反対する人はいないでしょう。しかし、その中身は曖昧です。環境問題同様、誰もが反対できない目標が設定されると、そこには利権を嗅ぎつける様々な人々が集まってきます。
人々はクリーンな目標を好む一方、その陰に隠れて、その目標そのものと矛盾するような行動をとる傾向もあります。それは例えば最先端の技術が新たなビジネスチャンスを生むということが、十分な検証がなければ人間の精神を蝕む結果を生んだりします。
たとえばインターネットの登場でコミュニケーション革命が起きましたが、結果的に人類は対立や戦争から解放されたとはまったくいえません。
SNSの普及で言葉による暴力も増え、自殺者も出ています。いわば無法地帯のネットは、テロ組織や極右・極左の暴力組織にも利用され、1年前の米連邦議会議事堂襲撃事件もSNSは大きな役割を演じました。今や大統領選をネット上で国外から介入し、世論をゆがめる手段にも使われています。
世界中の途上国でSDGsを旗印にインフラ整備が行われていますが、その流れを利用して世界支配を画策する中国が債務の罠を仕掛け、途上国は中国に従って台湾との国交を断絶したり、債務返済不能に陥って重要な湾岸インフラを中国に奪われたりしています。
ESG(環境・社会・ガバナンス)はどうでしょうか。これも誰もが反対できない持続可能な世界の実現のために、企業の長期的成長に重要な環境問題と社会貢献、適切なガバナンスを重視することを目標としています。しかし、利益を追求することを最優先に考える企業活動が、そんな綺麗ごとで済まされるとは誰も考えていないでしょう。
日産のカルロス・ゴーン元逮捕やオリンパス、東芝などの不正会計、長年に渡る大手製造企業の品質管理の手抜き問題は、企業が抱えるガバナンスやコンプライアンス問題として浮上しました。特定の人物による犯罪的行為というより、組織的不祥事です。
これをESGで是正できるかといえば、企業人であれば難しいと思うでしょう。競争に勝つしかないビジネスの世界は綺麗ごとでは生き残れないからです。無論、ESGという視点で評価される企業の株が上昇する現象は、特にアメリカでは起きており、歓迎すべき傾向とはいえますが、まだ、入り口に差し掛かった段階です。
デジタル敗戦国とまで呼ばれる日本もデジタル変革(DX)は、進化したデジタル技術を浸透させることで人々の生活をより豊かなものへと変革することなわけですが、これもリスクを伴っています。デジタル化はあらゆるもののコネクトを可能にするわけですが、あらゆるものには良い物も悪い者も含まれます。
スマホが普及するとそのスマホのメーカーの背後にいる支配欲に目がくらんだ勢力が情報収集のツールとしてバックドアを仕掛けるなど、政治利用している実態があります。情報戦でDXは好都合で、そのリスクマネジメントは十分とはいえません。
「便利はリスク」という視点から見れば、DXに潜むリスクは計り知れないものがあります。そこでわれわれが注視し、排除すべきは「偽善」というウイルスです。このウイルスは口では人々の豊かな生活、安全で平和な社会を歌いながら、本当の目的は極めて身勝手で自己中心的なものです。
このウイルスを駆除できるのは、利他主義しかありません。ミリオネーを夢見るIT起業家の多くは、贅沢な暮らしが最優先で犠牲を払ってでも弱者のために自らの意志で利益を再分配する考えは希薄です。私は個人の豊かな生活追求は否定しませんが、同時に社会貢献しているかは同じ重みで重要と考えています。
マスクも自分をウイルスから守るには役立たず、人にうつさないためにするもので、その結果、パンデミックを抑制できるというものです。個人主義がいつしか自己中心に陥った西洋でマスクへの抵抗が強いのは、それは利他的考えが薄れているからです。
2022年は、ぜひ、偽善を排除する利他主義ワクチンのことを考えたいと私は考えています。
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