この数か月、フランス人、英国人、ドイツ人を対象に「あなたはロシアをヨーロッパだと思うか」という問いを投げかけてみました。聞いたのは大学生、30代から70代のサラリーマンやリタイヤ生活をしている人々です。
なぜ、そんな質問をしたかといえば、30年前、ソ連邦が崩壊した時に日本を代表するロシア研究者、故木村汎氏から「ロシアのヨーロッパへの思いは片思い」と聞いたことを思い出したからでした。帰ってきた答えは全員が「ロシアはヨーロッパと文化も価値観も共有していない」というものでした。
今、ウクライナに軍事侵攻しているロシアのプーチン大統領の主張は「西側同盟国が、過去1,000年間、ロシアを脅迫し続け、今は北大西洋条約機構(NATO)がロシア国境に迫り、ロシア敵視といじめが続き、ロシア文化を打ち消そうとしている」というものです。
実際、ロシア帝国は19世紀にヨーロッパの君主制の息の根を止めようとしたナポレオンに攻め込まれ、第2次世界大戦ではドイツのヒットラーがモスクワに迫りました。西側同盟国は「プーチンの被害妄想だ」と非難しますが、ロシアでは国民の約6割が彼の主張を支持しているともいわれています。
東西冷戦がソ連邦の崩壊で終結した後、西側先進国と日本で構成される先進首脳会議(G7)は、ロシアを迎え入れようとしました。狙いはG7の信じる普遍的価値観にロシアを引き込むことでした。実際、1997年に正式メンバーになり、2008年にジョージアに軍事侵攻しても追い出されず、2014年のクリミア併合でロシアは資格を失いました。
G7にロシアが迎え入れられた1997年にプーチン氏は、ロシア大統領監督総局局長、1999年から今日まで1次首相になりましたが大統領を続け、G7への出入りの全てを国のトップとして見てきた人物です。今、彼が主張する物語はその経験にソ連KGB時代、さらにはレーニン、スターリンの歴史観、加えてロシア帝国の栄光から形成されています。
それは共産主義を通過した国独特の歴史の捏造以外の何ものでもありませんが、国の統治と戦争の大義名分に彼の物語は大いに役立っています。人はコンテクストで物事を理解し信じ行動しようとします。ウクライナ戦争は西側が認識しているものとは真逆のコンテクストが根拠になっています。
無論、本音は資源を含む経済利権や軍事利権を獲得するのが主だったとしても、それでもそのために兵士に命を捨てさせるには崇高なナショナリズムのコンテクストが必要です。
ロシアが2月24日にウクライナへの侵攻を開始した後、国連安保理は緊急特別総会を招集し、193の加盟国のうち141か国が、1週間後にロシアの軍事侵攻を非難することに投票しました。しかし、中国、インド、南アフリカなど、人口の多い主要国や影響力を持つ国が棄権しました。
結果的に、西側の指導者たちが、全世界がロシアが今回の壊滅的戦争の責任を負うべきとするNATOの見解は妄想化しました。棄権した国々の理由は様々です。単純な経済的または軍事的利己心(インドやパキスタンなど)から、西洋の偽善を批判するため、はたまたヨーロッパによる植民地支配時代の悪い経験による不信感までです。
日本は非難決議を支持したものの、本音ではロシアを公に非難したり、プーチン大統領を世界の隅に追いやることはしたくないと考えたことも否定できません。反対や棄権した国の中には、西側同盟国が主張する価値観の優位性に疑問を呈する国は少なくありません。
では西洋が主張するコンテクストは何でしょうか。他国を武力で占領し、領土を拡げること、その手段から発生する一般市民を巻き込んだ大量殺戮、武力で経済利権や軍事利権を獲得しようとする行為を犯罪行為とすることです。
たとえ主張するコンテクストが全て説得力があったとしても、その一線を超えることは許されないということでしょう。しかし、たとえば第2次世界大戦後のどさくさにロシアが不当に手に入れた北方領土を戦争という一線を越えずに日本は取り戻せるかといえば、それは不可能だったことは明白です。
犯罪は裁けても通用しないコンテクストは世界に山ほどあります。戦争犯罪を犯したプーチンは裁けても、彼を追い込み、戦争に駆り立てた西側同盟国の罪を裁く方法はありません。その意味でいえば、日本はロシアを脅迫し続けた(プーチンの主張)西洋諸国と同じではありません。
ロシアからすれば、日本がウクライナ戦争で西洋に同調する理由は理解できないでしょう。ロシアから見れば、独立した国家として日本が自国の意志で制裁に加わっているというより、アメリカの圧力に屈して制裁に加わっているとしか見えないでしょう。
逆にいえば日本はウクライナ戦争を非難する根拠は何かということです。アメリカもヨーロッパも自分たちの文化や価値観と合わないロシアが、最終的に戦争という犯罪行為に及んだことを断罪しているわけですが、日本は自由と民主主義、法治国家という価値観だけで西洋と同じ立場なのでしょうか。
敗戦でもたらされたこれらの価値観は、普遍性や演繹思考から縁遠い日本が独自に考え出したものでも命がけで実現したものでもなく、必死で守ってきた価値観でもありません。口先で行っても西洋とは立ち位置が違いすぎます。それに国家、国民のアイデンティティをこれほどまでに軽視してきた国を私は他に知りません。
何か明確な意思を表明すれば同調者もいれば反対者も生まれるものです。戦後、八方美人的に生きてきた日本は、本当は命がけで守る信念がありません。私が最も嫌悪するのは「巻き込まれる」という言葉です。これほど卑屈な言葉はありません。
日本はロシアを追い込んだ責任はないはずです。だからプーチンは日本が制裁に加わっている本音を知りたがっているはずです。柔道を愛好する彼が知る日本は武士道の国であり、高貴な精神を持った国です。日本は一線を越えてしまったプーチンに戦争をやめさせる説得ができる唯一の国かもしれません。
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