「ウクライナの踊り子たち」パステル画 ドガ作 1889年頃
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、同館が所蔵する印象派の画家、エドゥガー・ドガの「ロシアの踊り子たち」(1899頃)について、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて「ウクライナの踊り子たち」に先月初めに改名しました。SNSを通じて同作品の名前が間違っているという批判を受けていたそうです。
パリのオペラ座に通い多数の踊り子作品を残したドガですが、確かに今回改名された作品では、踊り子たちがウクライナ国旗と同じ青と黄色を配したリボンや花などを身に着けているのを見ることができます。確固たる根拠がないために、長年作品名は議論がされてきたといいます。
これは少なからず、全世界の芸術における歴史認識や国名、民族名などの使用を再検討する機会になっているようです。たとえば、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニアなど旧ソ連邦西部の国や民族を扱った美術作品を包括的に「ロシア」と称するのは、ソ連邦の統治時代のもので適切さを欠いています。
たとえばシャガールはベラルーシのユダヤの寒村で生まれたわけですが、ベラルーシはポーランド・リトアニア共和国を経て、ロシア帝国、ソ連邦の支配を受けた後、ソ連邦の崩壊で独立した国です。シャガールが生まれた頃はロシア帝国の支配下で、やがてソ連邦に組み込まれ、彼はフランスに定住したわけです。
多くの人々がシャガールをロシア出身者といってきましたが、彼の心中は複雑だったでしょう。ヨーロッパにはそんな人々がたくさんいます。ドガ作品に出てくるウクライナ人の踊り子も、ベラルーシ同様の運命をたどったウクライナの悲劇的歴史と関係しています。
今、ウクライナへのロシア軍事侵攻以降、キーウ・シティバレエ団がフランスで足止めされています。彼らはフランスの支援を受け、さまざまな劇場でフランスのバレエ団と共同公演を実施しています。パリのシャトレ座劇場に無料で宿泊しいながら、フランス各地で特別公演を行っています。
実は世界的に有名なロシアバレエの1部は、歴史的にウクライナが担ってきたことから、ドガの時代にウクライナの踊り子たちがパリで踊っていてもおかしくはありません。その時代にもパリではウクライナのダンサーとはいわずにロシアのダンサーといっていた可能性はあります。
今回、キーウシティバレエ団の公演では毎回、ウクライナの国家が流されており、支援プロジェクトの芸術監督、ブリュノ・ブシェ氏は「彼らの家族はウクライナで身動きできず、彼らに連帯を示すために踊っている。何かを共有できることが重要だ」と述べています。
フランス側は同シティバレエ団が存続できるように支援することは不可欠として全面支援しています。公演の諸経費はフランス側のバレエ団が負担し、興行収入は同シティバレエ団のダンサーの給料として支払われているそうです。さらにパリに本部を置く国境なき医師団のウクライナでの活動支援のために公演で寄付を募っています。
今回、作品名が変更されたロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵のドガ作品は、1899年頃に作成されたパステル画で、伝統的なウクライナの独特の踊りを披露する姿を描いたものです。ダンサーの髪は、ウクライナの国民色である青と黄色のリボンで飾られています。
ウクライナの遺産と文化は、しばしば誤ったラベルが付けられているといわれています。これは、他国の支配を強いられてきたウクライナが背負ってきた悲劇といえるでしょう。ドガが生きた時代のウクライナは1880年代からロシア帝国、アレクサンドル3世が、支配国の「ロシア化」政策を実施したことでも知られ、ウクライナ人のアイデンティティは奪われました。
さらにソ連征服時代の強烈なロシア統治により、美術の専門家はウクライナ、グルジア、エストニア、とロシア帝国・ソ連帝国で作成されたか作品を見分けることができる人はほとんどいないと指摘されています。
芸術文化は弱肉強食の支配の歴史の中を生き抜いてきました。フランスは今、ウクライナの美術研究者支援に乗り出し、彼らの保護にも熱心です。ウクライナ危機は、嘘と捏造に塗り固められたソ連邦によって封印されたロシア帝国時代からの横暴から解放される時をもたらしているともいえます。
無論、これほどの犠牲の血を流さなければ国家、民族のアイデンティティを取り戻せないことに複雑な思いを禁じえません。人間の醜い支配欲で綴られた悲しい歴史と人間の罪を感じざるを得ません。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、同館が所蔵する印象派の画家、エドゥガー・ドガの「ロシアの踊り子たち」(1899頃)について、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて「ウクライナの踊り子たち」に先月初めに改名しました。SNSを通じて同作品の名前が間違っているという批判を受けていたそうです。
パリのオペラ座に通い多数の踊り子作品を残したドガですが、確かに今回改名された作品では、踊り子たちがウクライナ国旗と同じ青と黄色を配したリボンや花などを身に着けているのを見ることができます。確固たる根拠がないために、長年作品名は議論がされてきたといいます。
これは少なからず、全世界の芸術における歴史認識や国名、民族名などの使用を再検討する機会になっているようです。たとえば、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニアなど旧ソ連邦西部の国や民族を扱った美術作品を包括的に「ロシア」と称するのは、ソ連邦の統治時代のもので適切さを欠いています。
たとえばシャガールはベラルーシのユダヤの寒村で生まれたわけですが、ベラルーシはポーランド・リトアニア共和国を経て、ロシア帝国、ソ連邦の支配を受けた後、ソ連邦の崩壊で独立した国です。シャガールが生まれた頃はロシア帝国の支配下で、やがてソ連邦に組み込まれ、彼はフランスに定住したわけです。
多くの人々がシャガールをロシア出身者といってきましたが、彼の心中は複雑だったでしょう。ヨーロッパにはそんな人々がたくさんいます。ドガ作品に出てくるウクライナ人の踊り子も、ベラルーシ同様の運命をたどったウクライナの悲劇的歴史と関係しています。
今、ウクライナへのロシア軍事侵攻以降、キーウ・シティバレエ団がフランスで足止めされています。彼らはフランスの支援を受け、さまざまな劇場でフランスのバレエ団と共同公演を実施しています。パリのシャトレ座劇場に無料で宿泊しいながら、フランス各地で特別公演を行っています。
実は世界的に有名なロシアバレエの1部は、歴史的にウクライナが担ってきたことから、ドガの時代にウクライナの踊り子たちがパリで踊っていてもおかしくはありません。その時代にもパリではウクライナのダンサーとはいわずにロシアのダンサーといっていた可能性はあります。
今回、キーウシティバレエ団の公演では毎回、ウクライナの国家が流されており、支援プロジェクトの芸術監督、ブリュノ・ブシェ氏は「彼らの家族はウクライナで身動きできず、彼らに連帯を示すために踊っている。何かを共有できることが重要だ」と述べています。
フランス側は同シティバレエ団が存続できるように支援することは不可欠として全面支援しています。公演の諸経費はフランス側のバレエ団が負担し、興行収入は同シティバレエ団のダンサーの給料として支払われているそうです。さらにパリに本部を置く国境なき医師団のウクライナでの活動支援のために公演で寄付を募っています。
今回、作品名が変更されたロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵のドガ作品は、1899年頃に作成されたパステル画で、伝統的なウクライナの独特の踊りを披露する姿を描いたものです。ダンサーの髪は、ウクライナの国民色である青と黄色のリボンで飾られています。
ウクライナの遺産と文化は、しばしば誤ったラベルが付けられているといわれています。これは、他国の支配を強いられてきたウクライナが背負ってきた悲劇といえるでしょう。ドガが生きた時代のウクライナは1880年代からロシア帝国、アレクサンドル3世が、支配国の「ロシア化」政策を実施したことでも知られ、ウクライナ人のアイデンティティは奪われました。
さらにソ連征服時代の強烈なロシア統治により、美術の専門家はウクライナ、グルジア、エストニア、とロシア帝国・ソ連帝国で作成されたか作品を見分けることができる人はほとんどいないと指摘されています。
芸術文化は弱肉強食の支配の歴史の中を生き抜いてきました。フランスは今、ウクライナの美術研究者支援に乗り出し、彼らの保護にも熱心です。ウクライナ危機は、嘘と捏造に塗り固められたソ連邦によって封印されたロシア帝国時代からの横暴から解放される時をもたらしているともいえます。
無論、これほどの犠牲の血を流さなければ国家、民族のアイデンティティを取り戻せないことに複雑な思いを禁じえません。人間の醜い支配欲で綴られた悲しい歴史と人間の罪を感じざるを得ません。
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