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 以前、私が教鞭を執っていたフランスの大学で学生及び教員、職員を対象にしたアンケートを行ったことがあります。質問内容は「もしあなたが宝くじで3億円以上当たったら、どうしますか」という極めて世俗的なもので、目的は労働意識を調査するためでした。

 フランスに長く住むと考えざるを得ないテーマで、働くことが人生になっている日本人の対極にいるのがフランス人だからです。最近、フランスの70歳になる親せきの男性が誰にもいわずに働き続けていたことが分かり、隠していた理由を聞いたら「そんな歳まで働くのはあまりにもみっともないと思ったから」といっていました。

 アンケートの答の選択肢の中の「宝くじに当たっても今と同じ職場で働き続ける」と答えたフランス人はゼロでした。代わりに残りの人生をボランティア活動に捧げたいという人は回答者の半数を超えていました。

 結論からいえば、以下に短い期間に効率よく金を稼ぎ、残りは意味のある人生を送りたいということで、働くことそのものに意味を見い出す人はほとんどいませんでした。

 ここで断っておくべきは、フランスには大きく分けて管理職になれない一般サラリーマン、管理職(フランスではカードルと呼ばれる)、自営業、農業漁業従事者、芸術家などの職業に結構はっきり分かれています。

 それぞれ人生観は異なりますが、日本人と同じ生涯現役なのは芸術家くらいなもので、あとはできれば早くリタイヤし、好きなことをしたいというのが一般的です。

 実は、この話題は今、再選を4月に果たしたマクロン大統領が掲げる年金改革で、年金受給年齢の引き上げを表明しているからフランスではホットなテーマです。6月には下院選挙もあり、反対する左派は争点にして過半数の議席を制することを狙っています。

 しかし、実際、フランス人でも誰もが悠々自適の老後を過ごしているわけではありません。たとえば親戚の男性は53歳の時にリストラされ、その時に十分な退職金を受け取ったために完全リタイヤを決めました。管理職だった彼は若い時にフランス南東部の湖のほとりに家を建て、リストラ後は旅行やスキーに明け暮れ、誰もがうらやむ生活をしていました。

 ところがリタイヤから4年後、彼は突然、自殺しました。妻の説明では本人は会社を解雇されたことが精神的ダメージになっていたようです。本人は米資本の会社で高い評価を得ていると確信して30年間働いたのに、突然の解雇で理由も告げられなかったそうです。

 本人は7年後の60歳で定年を迎え、老後の生活設計もしていたのに、7年も早い定年に耐えきれなかったということのようでした。とはいえ生活に困っていたわけではまったくありませんでした。そんな例をみると、フランス人にとって働くことの価値はまったくないなどとは到底いえないわけですが、それでも日本人とのギャップは非常に大きいと感じます。

 これはフランス人だけでなく欧米、アジアでも同じことがいえますが、働くことそのものが人生の目的になっている人が圧倒的多数を占める国は私の経験ではほとんどありません。まず、キリスト教世界では旧約聖書の創世記に神の言葉を守れず紙がエデンの園から追放する時「神は男には労働の苦しみ、女には産みの苦しみを与えた」とあり、労働の苦しみは人間の堕落がもたらしたものになっています。

 つまり、エデンの園では労働の苦痛も産みの苦しみもなかったことになります。翻って日本では、山本七平が指摘しているように、仏教の教えから人生は修行であり、労働によって人間は成長するという考えから根底にあるようです。嫌な上司がいても、やりたくない仕事をするのも、評価されないことも全て修行の一環といういう考え方です。

 つまり、少なくともキリスト教世界では労働が人生の目的と位置付けられておらず、単に経済的理由で働くしかないので、宝くじが当たれば、さっさとリタイヤすることになるわけです。嫌な仕事も受け入れて働いている状態は修行ではなく、金持ちの家に生まれなかった運の悪さということになります。

 英国では時に労働者階級が全体の95%というのは、生まれてから死ぬまで働かなくても十分生きていける5%以外は、働くことを強いられるので労働者階級というわけです。

 某米大手IT企業の日本支社長をしていた方が、利重追求にシフトし過ぎたアメリカ本社の考えと合わず離職したという話を過去に聞いたことがあります。その日本人は利重追求のあまり社会に不利益をもたらすのは間違っていると主張していましたが、その主張自体は間違いではないと思いますが、実はアメリカ人にとって企業や仕事が人生の目的になっていないという視点が抜け落ちていると思いました。

 日本は過剰に企業の公益性や倫理を求める傾向にありますが、実は個人の人生の目的と企業の目的が切り離されていないという視点も考慮すべきと私は考えています。日本では組織に献身的に働く意味合いが強く、人生の目的になっていますが、アメリカ人にはありません。

 金儲けは手段であって目的は、豊かな人生を送ることで豊かな人生に金も必要だということはあっても、自分がボロボロになるまで働き続けるというような労働を目的化してはいません。これは中国を含むアジアでも同じです。

 某米大手IT企業の日本支社長を辞めた人も会社組織の存在目的と個人の人生の目的を同一視していたのかもしれません。以下に効率よく金を稼いで最終目標の個々人の豊かな人生目標を達成するかを優先して考えるアメリカ文化を読み切れなかったのかもしれません。

 私は欧米人の人生も目標は貴族文化にあると見ています。金持ちになると城を持ちたがり、世界に別荘やヨットを持ち、高額な美術品を所有する生活に憧れます。それはかつて貴族が享受してきたライフスタイルです。日本にはそもそも貴族文化は、せいぜい皇室や大名の生活くらいです。

 一方で貴族生活だけでは精神的満足は得られないので、人道支援活動に熱心です。多くの富豪は毎年巨額の寄付を大小の人道支援団体に寄付しています。特にアメリカは非常に盛んで、慣習化しています。貴族生活と人道支援のセットが人生の目標というところも、随分、日本と異なります。

 私は日本を批判するつもりはありませんが、生涯現役の人生が日本を貧しくしているのも確かといえます。高齢者が豊かに生きていれば若者に目標になり、ひいては社会は豊かになるでしょう。会社の役員までした人が70歳後半でス―パーの駐車場整理係をしている姿を見て目標にする若者はいないでしょう。