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 フランスのビジネススクールで日本と中韓の複雑な関係を講じたことがある。その歴史はフランスだけでなく欧米諸国では今もほとんど知られていない。フランスの学生らの反応はフランスのアフリカ植民地支配に及んだ。学生らは高校までにフランスの過去の植民地支配の負の部分を聞いたことがないといった。

 今、私の企業研修で日本人だけでなく、フランス人やアフリカ人を含め、さまざまな国籍のビジネスマンが受講する「CSRからCSV」の動きを扱うテーマが増えている。そこでアフリカ人受講者から持続可能な開発目標(SDGs)について「第3世界は変わらないのでは?」との質問を受けた。

 これは地球温暖化対策の国連会議で温暖化ガス削減に向けた目標に対してアフリカ、東南アジアなど途上国、新興国が常に抵抗する姿と重なる。抵抗の理由はCO2 を目いっぱい出して工業化を進め、先進国になった国々が、今、成長にCO2排出が避けられない途上国に向かって、厳しい目標を達成するよう迫るのは偽善ということだ。

 同じことが、たとえばフランスが11月開催の中東カタールでのサッカーW杯に対して、外国人労働者を酷使し、男女平等やLGBTを排除する考えを持つカタールに対して、人権侵害に抗議するため、W杯の仏国内でのパブリックビューイングを行わないことを決定したことが挙げられる。

 ロシアの2014年開催のソチ冬季五輪では、前年にロシア政府が定めた反LGBT法に抗議し、メルケル独首相(当時)など何人かの首脳が開会式をボイコットした。ロシア、中国、イラン、北朝鮮、中東の国々など権威主義と呼ばれる国々は、欧米の人権批判を最も嫌っている。途上国の多くも権威主義体制の国は多い。

 欧米諸国が何かと口にする人権だが、欧米諸国こそ過去に人権侵害を行った国はない。それは18世紀、19世紀の植民地争奪戦に明け暮れた帝国主義時代、植民地では資源を奪っただけでなく、多くの現地の人々は家族をバラバラにして奴隷として売り買いした歴史を持つ。

 私は個人的に奴隷となった先祖を持つ友人がいるが、人権どころか、その残酷さは想像を絶している。カリブ諸国や南米にいる有色人種は、アフリカやインドネシアから来た奴隷がルーツだが、奴隷が強いられた過去を知れば知るほど、欧米人に人権を語る資格があるのかという疑問を持つ。

 ギリシャ、ローマの時代から勝者が敗者を奴隷にする習慣はあったが、大英帝国も中国人にアヘンを与え、弱体化させた残酷な過去がある。彼らは主張する。「神がわれわれを野蛮な国に送ったのだ」と。

 力で現状変更したのはギリシャ、エジプト、ローマ人にルーツを持つヨーロッパ人やチンギスハーン、イスラム勢力だが、その時代に人権が語れることはなかった。

 ロシアにも中国にも、あるいはイランやアフガニスタンにも、その記憶がこびりついている。彼らは欧米列強から根本的な謝罪を受けたことはない。欧米列強は次々に植民地が独立したことで現状が変わったことで、武器を捨て、今では人権を武器にして優位に立とうとしている。

 神の名のもとに植民地支配を推進した彼らは、イエス・キリストの教えに反し、自国の繁栄のために富を奪うことに集中し、金と権力で堕落し、結果的に失敗したともいえる。にも関わらず、贖罪意識もなく、貧しい旧植民地に対して、今度は無理なCO2削減や人権思想を押し付けている。

 皮肉なことに、富を奪ったヨーロッパの文化は定着しなかったが、ヨーロッパ人が持ち込んだキリスト教だけは残った。今また、イスラム圏で開催されるW杯やサウジの冬季アジア大会を人権やジェンダー問題で批判する欧米の態度に対して、批判される側からすれば偽善としか映らないかもしれない。