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 先進国の中で日本ほど会議の頻度が多く、それも長時間に渡っている国はない。よほど議論が深まっているかといえば、そうでもない。外部からの電話に「申し訳ありません。部長は会議中で1時間後に連絡お願いします」といわれ、1時間後には「部長は次の会議に入りました」という。

 部下は会議詰めの上司から認証を得るのに苦労し、仕事が前に進まない。結果的に上司と部下のコミュニケーションは極端に手薄になり、多くの行き違いからミスやビジネスチャンスが失われる。会議詰めの上司は結果的に部下への連絡が会議を終えた6時以降深夜とか週末に及ぶ。部下は深夜や土日に指示を受ける羽目になる。

 こんな事態に陥っている会社は日本では非常に多い。日本で「生産性向上」が叫ばれて長いが、現実には何も改善されず、公私の分別はなく、ワークライフバランスは極端に悪い。仕事とプライベートのメリハリがつかないことがストレスを高め、生産性をさらに下げてしまう。

   問題の原因の一つは、日本がハイコンテクスト文化ので、情報共有ではなく状況共有しようとして、変化する状況に合わせて会議をくり返す悪いサイクルが生まれやすいことだ。会議から普遍的法則を見いだせれば、それは動かすことのない情報なので頻繁に会議を開く必要はなくなる。

 日本には「全員野球」という言葉がある。リーダーや組織にとっては都合のいい言葉だが、働く従業員のエンゲージメントの最新の調査では、日本の社員のエンゲージメントは他の先進国より低い。社員のエンゲージメントとは、従業員が会社に対しての愛着や貢献の意志を意味する。愛社精神も含まれる。

 日本人のエンゲージメントが低い現状は日本経済の危機を表す。なぜなら、日本人の愛社精神の高さが日本を経済大国に押し上げた主要エンジンの一つだったからだ。組織に対する忠誠心は、古くは江戸時代の大名に仕える武士たち、戦後は御神輿経営に象徴されるリーダーを部下の忠誠心で支えるのが日本の特徴だった。

 日本の十八番ともいわれた忠誠心が希薄になることは、部下の上司に対する裏切りにも繋がる。結果、組織はリーダーシップもマネジメントも機能しなくなる。

 実はこの状況こそ、日本が古い部下が上司を支える文化から、上司が部下を率いるリーダーシップに切り替えるチャンスと受け止めるべきだろう。日本では「欧米はトップダウン」というが誤解もしている。その誤解は東洋に存在してきた人間崇拝、シャーマニズム、権威主義というコンテクストから理解しようとしていることにある。

 欧米先進国は19世紀に帝国主義を経験し、20世紀にナチズムやソ連帝国の専制主義を経験し、結果、キリスト教的価値観による寛容さや道徳性において、その独裁主義、権威主義に陥った権力者をの罪悪を糾弾した。戦後のビジネススクールは、権威主義の野蛮性から脱却するための民主的リーダーシップを模索してきた。

 欧米におけるトップダウンは意思決定を機能させ、成果を出すために考え出された理性主義に基づいたものだ。人間は頭脳によって四肢五体すべてがコントロールされ、素晴らしい動きが生み出されている。よってリーダーは頭脳であり部下は手足となるが、指先まで一つも欠かせる部位がないように部下にもリーダー同様の価値が与えられているという考えだ。

 意思決定を有効に機能させるリーダーと部下の上下関係は便宜的で、あくまで仕事上の関係で仕事を離れれば上下関係は外されるというのが欧米のルールだ。トップダウンのシステムが人間を傲慢にし、横暴にする権威主義は排除すべきというのは今の基本的考えだ。

 同時にリーダーには重い責任が負わされている。責任者は責任を取れるから責任者と呼ばれるわけでが、日本ではミスに対する責任はリーダー個人ではなく、集団で吸収されるため責任の所在も明確にはならない。集団管理の所以でもある。

 一方、会議の効率性や生産性に関わる問題のひとつは、議論する方法にある。民主的会議では参加者は自分の職位に関係なく、自由に発言でき、さらに誰の発言かより、発言の中身が議論を深めることに繋がるかに重点が置かれるのが一般的だ。最終決定はリーダーに委ねられ、全員が絶対的に従うが、議論の深まりが結果を左右する。

 日本では未だに誰の発言かに意識が行ってしまい、発言の中身の重要性は発言者によって左右される場合が多い。さらにリーダーは最も優れた意見を言わなければならないという強迫観念を持ち、到底、自由な意見交換によって議論を深める方向に行かない場合も多い。

 これは小学生の頃から自分の意見を持ち、ロジカルで科学的根拠を示しながら、議論する訓練がされていないことに起因するものだ。欧米では理系の技術畑出身者でも、リーダーには哲学や歴史といった教養と思考力は議論を深めるための必須のスキルだ。

 多くの会議が会議のための会議で終わり、成果に繋がっていないのは、議論するベースのスキル不足にあるといわざるを得ない。そもそも学校教育から有意義な議論によって生産性を高める訓練が求めらるが、社会人になってからも思考力を高まる方法はある。そのスキル習得の度合いによって会議を減らし、効率性を高めることに繋がるといえる。