日本では春闘が本格化する中、政府も経営者団体も労組も一斉に賃上げの大号令です。経営者と労組の対立軸は見えず、通常、賃上げに慎重な経団連や商工会議所まで賃上げを推奨する珍しい状況です。これに最も苦悶するのは中小企業で、仮に大企業との賃金格差が広がれば、若者の大企業志向が強まってしまう懸念があります。
30年前、日本企業と欧米企業の給与体系の違いは明白だった。バブルの時代でも日本企業経営幹部と一般社員の給与の差は大きくはありませんでした。経営破綻寸前の自動車メーカー日産の救世主として現れたゴーン氏は20年後、日本の経営者の誰よりも高い年収8億円を受け取っていたといいます。
リーマンショックで浮上した企業幹部の超高給問題は、多くの批判はあったものの大きな変化はありません。アメリカのCEOの報酬は100億円を超えるのはざらな状態で、昨年の調査ではトップ10のCEOの年収は最低でも200憶円越えでした。
翻って日本を見れば、終身雇用を終える大企業は多いとはいえ、労働市場の流動性は今も欧米やアジアに比べれば乏しく、人材獲得は市場原理で動いていない側面が強いために低賃金を維持できています。日本独特の村社会の集団農耕型の働き方は極端な給与格差を嫌い、社会主義にも近いものでした。
それに個人力より集団力重視の日本企業は、個人のスキルがもたらすパフォーマンスへの評価は高くはありません。それでも退職金をチラつかせ、安定雇用を保証することで優秀な人材を繋ぎ留めらたことから、結果、優秀な人材の定着に高額を出す必要がないまま今日に至っています。
日本はまさに過去にない転換期を迎え、その転換に大企業も中小企業も苦慮しています。結論からいえば労働市場の流動化の進む中、市場原理が働くようになり、日本は社会主義的経営管理を脱却する時期に差し掛かっており、当然の帰結としてCEOの報酬が一般社員の10倍、100倍以上となる賃金格差を受け入れるしかない流れです。
そこで10年以上前から、この変化の中で生き残るために生産性を高めること、ある程度の成果主義が導入されています。どちらも日本の企業文化にないものなので苦戦が続いていますが、選択の余地はありません。それは経営者から一般社員まで全員にとって、本当の意味での実力主義となり、非常に厳しいものです。
一方、集団農耕型マネジメントは、言い方を変えれば人海戦術が主流だったということです。学歴や能力に関係なく、何でもやる人材、何でも受け入れる人材が重宝され、広く浅く報酬が支払われてきました。企業の論理からすれば、平均給与を上げよという政府と組合の要求には違和感があるでしょう。
経営的には、今後は組織内の競争原理がより厳しく働き、成果に応じて給与を上げる方向にシフトさせることで収益を伸ばそうとするでしょうから、結果的に賃金格差は広がることになります。利益の平等な再分配の共産主義でない限り、当然の帰結であとは最低賃金保障で補うしかありません。
この流れで注意すべき点は、社員がみんなで支え合う集団農耕化型マネジメントは役に立たず、個人力だけが重要になるという単純な話でないことです。むしろ、これまでの企業文化で何が足らなかったのかをはっきりさせるべきだと私は思っています。
それは集団型の人海戦術で個人に対して組織が犠牲を強要する文化を転換することです。いい方を変えれば、足らなかった個人の尊厳を重視する意識転換こそが、転換の核心といえると私は考えています。集団の前に個人は大した価値がないという文化は捨て去るべきでしょう。
ここでいう個人の尊厳には個人の意思が含まれます。組織のために個人として自らの主体的意志で犠牲を選択することを否定するものではありません。つまり、自由意思を尊重することこそが、今の日本には重要だということです。
同じことをするのに、自由意思で選択するのと、強制されてするのでは中身に大きな違いがあります。その主体性が問われている時代なんだと思います。
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