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  葬儀後のゴルバチョフが葬られたノヴォデヴィチ女子修道院の墓

 ペレストロイカ、グラスノスチと呼ばれる政治改革を推進し、米ソ東西冷戦を終わらせ、世界の脅威となっていたソ連邦を解消させた故ゴルバチョフは、西側陣営にとっては今でも英雄ですが、ロシア国内では国葬も行われなかった寂しい最期でした。

 プーチン露大統領は、ゴルバチョフの死に一定の敬意を払ったものの葬儀には参列しませんでした。西側陣営にとっては、70年に及ぶ共産主義体制のソビエト連邦を終わらせ、冷戦から解放した功労者ですが、実はロシア人の心がどれほど複雑だったのかは、この1年のプーチンの言動でさらに明らかになった感が強いといえます。

 ソ連時代に特異な最高指導者は他にもいます。それは核ミサイルをアメリカの喉元であるキューバに配備することを画策したキューバ危機で有名になったソビエト連邦第4代最高指導者だったニキータ・フルシチョフです。実は冷戦末期の1989年、たまたまモスクワでフルシチョフの墓に遭遇したことがあります。

 それはロシアが産んだ偉大な作曲家チャイコフスキーの取材で訪れたモスクワで、チャイコフスキーの墓のあるノヴォデヴィチ女子修道院に併設された墓地を訪れた時のことでした。案内人のロシア人が「ここにはフルシチョフと自殺した(スターリンの銃殺説もある)スターリンの妻の墓がある」といわれて連れていかれました。

 旧ソ連邦では、遺体はレーニン廟がある歴代の高官たちが祀られてきたモスクワ中心部の赤の広場脇にありますが、なぜ、フルシチョフはそこに葬られなかったのか。表向きは社会主義体制の基本である集団指導体制を無視した自らへの権力の集中(具体的には第一書記の座を創設し、首相も兼任した)のやりすぎで失脚したためとされますが、次の第1位書記となったブレジネフの政治クーデターでした。

 さらには同志に対するパワハラや暴言、キューバ危機では国連の場で赤恥をかいた外交力のなさは、ソ連が最も気にする国家の面子を潰しました。中国の習近平国家主席のように自分に反対する幹部の腐敗を暴き、排除する手法も知らなかったフルシチョフは、未だに名誉を回復していません。

 なんとゴルバチョフもフルシチョフ同様、ノヴォデヴィチ修道院内の墓に葬られています。指導者に対する歴史の審判は残酷で、長い歴史を英雄のまま生き残るのは容易ではありません。特に独裁的人間が英雄であり続けることの難しさは、世界中どこでも同じです。

 プーチンも英雄伝説に加わりたい病に侵されているのは確かなようです。それはあまりにも強い愛国心の名を借りた自己愛であり、自分はフルシチョフやゴルバチョフには絶対ならないという決意が見え隠れします。ヒトラーの末期も同じでした。その欲望に国民を道連れにする罪はあまりにも大きい。

 さらに彼には冷戦後、トップにのし上がっていく過程で、腐敗に手を染めていたことは西側調査機関によって証明されている。大統領になってからプーチンの許可なく大きなビジネスはできず、2兆円を超える資産を手にしてきた。その汚職の全容が政権が交代すると暴かれるリスクがあるため、死ぬまで政権にしがみつくしかない現実も見逃せない。

 今の時点でプーチンの悪の錬金術を暴くもの者、首に鈴をつける人間も見当たりません。ただ、私は個人的にはそこまで彼およびロシアを追い込んだ責任の一端は西側にあると考えています。冷戦終結後、アメリカが勝利に酔いしれ有頂天になった愚かさはいうまでもありません。

 日本も欧州が冷戦後の新しい世界のフレームワーク作りや崩壊した旧ソ連邦の復興で協力を期待されながら、アメリカの顔色ばかり伺い、何もしようとしなかった罪は大きいといえます。聞けば日本国内のEU協会も存亡の危機にあるそうです。

 人は自分と相手の優劣を競う悪い癖があります。本来、冷戦終結後、すぐにラグビーでいうノーサイドの精神を適応し、旧ソ連を尊重すべきでしたが政治的にはそうはなりませんでした。無論、戦争すれば恨みが残り、なかなか消えません。しかし、相手を許せなければ憎悪の連鎖を断ち切ることはできません。

 それは負けた方ではなく、特に勝った方に求められるものですが、そうなっていないところが多くの悲劇を長期化させているように思えます。