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 私は中学生の時に父親に連れられ、広島の平和記念館を訪れ、焼けただれたマネキン、全身火傷の治療を受ける映像など、あまりの残酷な展示物にショックを受け、今でもその記憶は鮮明です。

 われわれは昨年2月24日のウクライナへのロシア侵攻以降、毎日、戦場の映像を見ない日はありません。無論、それ以前も例えばアフガニスタン、イラク、シリアなどの紛争の映像は目にしていましたが、これほど連日ではありませんでした。戦争・テロは規模によりますがニュースの報道優先順位トップです。

 とにかく戦争でもテロでも自然災害でも人が死傷すれば、優先順位は上がります。無論、国外の紛争に一切軍事介入しない日本の報道は極めて特殊で、新聞の1面トップ、NHKの19時のニュースの報道優先順位も国内問題が最優先で、先進国の中では報道は極めて特殊です。

 多くの日本に住む外国人が違和感を感じることの一つですが、われわれは、SNSを通じ、スマホで撮影された戦争の惨状を見るのは新たな現実です。パレスチナ自治区ガザの病院で17日に爆発があり、500人以上が死亡した悲劇も、現場にいたパレスチア人がスマホで撮影した現場の惨状は筆舌に尽くしがたいものです。

 米ウォールストリートジャーナル(WSJ)は、ヘブライ語で「大丈夫。問題ない」とワッツアップで父親に送信した自身を映した動画送信を最後に殺害された例を紹介。「インバル・シェム・トブさん(22)はごみ置き場の中で、迫り来るイスラム組織ハマスの襲撃者から身を隠しながら、父親に送信した動画の中でささやくように伝えた後、殺害された」と報じました。

 今は、まるで戦場にリアルタイムで自分がいるようにスマホ動画を見ることができます。それも報道のように規制がかけられていらず、そこにはフェイク動画も散乱して、混乱を招いています。そのため、何が真実かもわかりません。

 いずれにせよ、戦争の瓦礫を見ない日はありません。コロナ禍で世界中の都市が無人のゴーストタウン化した映像と次々に死者が出る病院内の映像を目にしたわれわれは、多くの人が亡くなり、生活を奪われた瓦礫と化した町の風景が、日常になりました。

 当然ながら、子どものみならず、大人も心の傷を受けない保証はありません。毎日、広島、長崎の瓦礫映像を見せられているようなものです。映像のインパクトは言葉による情報伝達より強力で、ガザ近くの野原で開催されたベイブパーティの襲撃でもスマホで撮影された残酷な映像が拡散しました。

 それは予告なしにいきなり目に入ってきます。平和な日常に暮らすわれわれは心の準備なしに視覚に飛び込んでくる戦場の映像で心が痛めつけられています。むしろ若者はテレビゲームで戦場に慣らされているかもしれませんが、フランスで過激派組織の戦闘員の勧誘では、本物の武器を手にでき、実際に人が殺害できる体験ができると吹聴して戦闘員を集めています。

 私は、避けようのない戦争映像にどう向き合うか、いつも考えています。小さい時から悲惨な映像が記憶に残りやすい私は、若い時には、もうこの世界に住むのは無理だと思ったこともあります。そのため、私は一般的な日本人が信じる性善説を信じる気持ちにはならなくなりました。問題を起こすのは人間の愚かさです。

 ただ、自分ができることは極めて限られています。対処できるのは受け止め方でしょう。そのひとつが超ポジティブな事例に触れることです。さらに癒しの時間を持つことです。私はスペイン人の巨匠、ミロが戦後描いた悲惨な戦火の後、何もないところに昆虫や植物が活動する姿を描いた絵に癒しを感じました。

 東日本大震災の津波で瓦礫と化した道に花が咲き、蝶やトンボが舞う姿を見て、ミロの絵を思い出しました。その生命力の強さは人間も持っているはずです。私が蝶や鳥、花を描くのはそんな思いが込められているからです。