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 最近描いたパステル画、沢山の異なった種類のものが共存するモチーフの醸し出す美の世界を描いてみました

 私個人がフランス人妻と長年暮らしてきた経験から、異文化共存には高い関心を持っています。それは私の職業の一つであるグローバルビジネスのコンサルや人材育成とも深く関係しています。つまり、私の場合は頭で考えた知識としてのカルチャーダイバーシティではなく、そこに常に身を置いている現実があります。

 それは悪戦苦闘の毎日であり、大きな喜びと地獄の苦しみが同居していることを告白しなければなりません。しかし、最近、自分の体験的異文化共存が、役に立つ時代が到来していることを肌で感じています。

 理由は今、世界はまさに、このブログにも書いたように旧約聖書の影響を濃厚に受けるユダヤ教とイスラム教が絡んだ憎しみの連鎖に歯止めがかからず、その殺戮を世界が止められない現実を目の当たりにしているからです。

 日本に駐在する英国系企業に勤めるフランス人管理職の研修を行った時、その男性は「われわれ夫婦は、英国、イタリア、ブラジルに駐在してきたが、自分たちの理解の範囲内だった。しかし、日本は今まで体験したことのない異文化で当惑の連続だ」と言っていました。

 ヨーロッパでは24の言語が使われ、ケルト系、ゲルマン系、ラテン系、アングロサクソン系、スラブ系など民族も多岐にわたっています。それを取りまとめているのがキリスト教ですが、決して価値観は一枚岩ではなく、ヨーロッパのかつては殺戮と対立を繰り返し、ようやく戦争なしに共存できたのは最近の話です。

 しかし、その経験から彼らなりの異文化耐性が身に付き、今では人の移動の自由は保障され、英国人とフランス人、フランス人とドイツ人が互いに軽蔑する陰口を叩くことはあっても平和的に共存し、ダイバーシティの強みを引き出すことに合意しています。

 そんなヨーロッパも東洋との文化的ギャップは非常に大きく、先駆けて西洋文明を学び、戦後はアメリカ支配も受けた日本でさえ、西洋人から見れば理解不能なものは山のようにあります。

 しかし、ネット環境が整い、AIで言語の壁を取り払われる世界において、文化の壁は急速に低くなりつつあります。それは長年、異文化に身を置いてきた人間としても感じることです。無論、ネット上から得られる情報には限りもあり、コミュニケーション革命にはいい側面だけでなく、憎悪を煽る高いリスクも存在します。

 最近のウクライナ危機、イスラエルでの戦争を見ながら、ネット時代が必ずしも異文化共存に役立っていない現実にも遭遇しています。私の体験的異文化共存で、ハッキリしているのは、自分の仲間であるかどうかで、人間はどこまでも残酷になれることです。

 共存しなければ困る仲間内では、小さな諍いはあっても、なんとか調整しながら共存しようとしますが、仲間以外には無関心なだけでなく、無意識に差別や非人道的、非道徳的行動が容認される傾向があります。つながりのない人間には心も痛まない傾向があるのは事実です。

 同じ人間という認識を持つことは容易ではありません。私個人は非日本人の妻を持つことによって、少しは国籍や人種を超えて「同じ人間」という意識を持てるようになったことで、民族主義、選民思想、人種差別、血族主義、ナショナリズムに対する嫌悪を抱くようになりました。

 そこで思い出すのは高校生の時に読んだ『発想の周辺、安部公房対談集』(新潮社刊)の中で、作家、伊藤整との対談で「今から国際結婚が増えれば、子供には国境がなくなり、やがて戦争もなくなるだろう」という伊藤整の意見が述べられていて、強く共感しました。

 無論、ソ連帝国時代、無理やり連邦に組み込まれた国の国民がロシア人と結婚させられた効果が地域の安定に役立っているとは言えない現実を見ると、単純でないことは分かります。理由は国家という縛りが強烈だからです。韓国に嫁いだ日本人妻が反日になるのも同じような現象です。

 とはいえ、米ウォールストリートジャーナル(WSJ)が最近、掲載した「脱グローバル化は本当か、通説に逆行する新事実」によれば、貨物輸送量で見れば貿易は依然拡大中という現実は変わっておらず、グローバルビジネスが停滞どころか、コロナ禍後に加速化しているというわけです。

 私は、ますます、異文化共存が現実味を増しており、カルチャーダイバーシティの重要性は,これからの世界が平和でいられるためのカギを握っていると感じています。

 そのためには目標を共有し、成果を出すことに向かって協業するための組織の透明性を高めるなどの環境を整え、常に課題の抽出とコミュニケーションの深化を怠らない努力が必要だと考えています。