フランス北部アラスの高校で10月13日に教師がロシア南部チェチェン系の容疑者に刺殺されたテロは、大きな衝撃を与えた。ウクライナ危機、イスラエル・ハマス戦争と血なまぐさい紛争が地理的に遠くないところで発生し、平和ボケしたフランス人の目を覚ますような事件だった。
なぜ、平和ボケしているというかと言えば、昨年、ドイツのフランクフルト空港で空港職員の待遇改善のためのデモで、乗り換えができない事態を目撃した。戦争状態のウクライナは目と鼻の先だが、毎日、ウクライナ難民を乗せた列車が到着するフランクフルトやパリでは、難民の移動を妨げるデモが行われている状態は、何を意味するのか考えさせられてしまう。
フランス政府はアラスの事件を受け、仏政府は国内のテロ警戒水準を最高位に引き上げた。フランスは2015年に起きた大規模テロのようなテロの季節が到来している。理由はイスラエルがハマスせん滅のためにパレスチナ自治区ガザで民間人の殺害を正当化する中、反ユダヤ主義的行為が拡散しているからだ。
アラスの事件で明らかになったことは、容疑者の20歳のチェチェン人の若者の犯行の動機に、世俗化した社会への憎悪があったことが分かってきたことだ。世俗化という言葉は日本人には聞きなれない言葉だが、人間の日常生活にも影響する1神教では、厳しい戒律を基本守って生活することが求められ、それを軽視するのが世俗化現象だ。
ユダヤ教やイスラム教のように旧約聖書に示された戒律を信じる人々は、基本的に戒律に従って日常生活を送っている。キリスト教徒もかつては礼拝や告解を守り、慎み深く生きることが求められ、中世時代には戒律を守らない者は地獄に堕ちるという恐怖感が日常生活に浸透していた。
そんな時代に生きた人が現代社会を見れば、気絶するかもしれない。特にキリスト教徒も世俗化は最も進んでおり、過去の戒律を守る信仰を科学的根拠のない野蛮で非文明的とまで言っている。戒律を重んじるイスラム教徒にとっては、ストレスでしかない。
無論、大多数のイスラム教徒はテロを起こすような人たちではなく、穏健派で戒律を守りながらも、世俗化した世界を攻撃したりしない。ただ、差別や貧困で人生が困難に陥っているような移民たち、ガザのような天井のない監獄に押し込められた人々は過激思想に染まりやすい。
世俗化に嫌悪感を抱く彼らの感情は、簡単に否定はできない。2015年にシリア難民を100万人を受け入れたヨーロッパでは、イスラム教で禁じられている女性が肌を見せる行為が当たり前で、できるだけ肌を見せたいファッションも流行っている。
結果、アラブ移民たちによって多くの強姦事件が起きた。彼らに言わせれば「あの格好は男を誘っているとした見えなかった」と証言している。服従が基本のイスラム教では、女性は男性に服従するのが普通で、イスラム教徒から見れば、みだらとしか見えない服装は売春婦に見える。
フランスは国として世俗化を推進してきた国だ。フランス革命では多くのカトリック聖職者が殺害され、教会権力を社会から取り除くことが肯定された。政教分離の徹底により、世俗化はさらに進んだ。
日本人には理解しにくいが、世界で起きる宗教が絡んだ紛争では、世俗化問題は大きな注目点だ。西欧世界の世俗化はリベラル化ともいい、制御されていない。宗教は人が生きる信念であり、アイデンティティなので、その対立は出口を見出すことは難しい。
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