philosophy

 世界中で財界の一流と言われる人物を取材してきた教訓から、彼らの成功に役立つのは、ビジネスの技術ではなく、意志決定のための適切な高度な判断をもたらす豊かな知識教養、考え抜く思考力、理性にあることは明白でした。時には哲学や宗教が彼らを支えている場合もありました。

 持続可能な発展の原則から言えば、人間の行動に決定的影響を与える普遍的真理を掴んだ者こそが、ビジネスの持続的発展をもたらしており、逆にそれがない人間はどこかで歴史から消えていっていることが分かります。

 60歳でライフネット生命を起業した出口治明氏(現アジア太平洋大学学長)は、60歳での74年ぶりの独立系保険会社企業を設立し、70歳から大学の学長を務める史上初の多いパイオニア精神の塊のような人物です。偉そうな知識をひけらかす人間ではなく、誰も否定できない実績をもって発信を続けています。

 稀代の読書家として知られる出口氏は、70冊を超える本を書いていますが、『なぜ、学ぶのか』(小学館)の著書の中でハウツー本より知識・教養に属する本を中心に読んでいるという話があります。読書は時空を超えて人間を自由にしてくれるとも書いています。

 私個人は高校一年生の時に読んだ「きけわだつみのこえ」の最後に登場する京大生も戦没者、木村久夫が哲学者、田辺元の『哲学通論』の本の余白に書き残した遺稿に感銘を受け、家にあった『哲学通論』を読んだことが、今でも自分の人生に大きな影響を与えています。

 遠い過去の記憶ですが、たしか田辺は「日本には哲学研究者は多いが、哲学者はいない」と書き、「哲学は名詞ではなく、哲学するという動詞だ」とあったと記憶しています。常に考え続けることが哲学の原点と理解し、受験勉強もせずに哲学書や文学、科学書、芸術書を読み漁った高校時代でした。

 広島師範で学んだ父は、学生時代、哲学書を読み漁っていたそうですが、私は高校で,たまたまは父が大切の持っていた哲学書を読み始めたわけです。1970年代、すでに大企業の役員クラスになっていた
人たちを訪ねる機会があった時、暇そうな彼らは若い私に「君、われわれは一高、東大時代、仲間と毎晩のように哲学議論していた」という話を聞きました。

 当時なので天下りも多い時代でしたが、リーダー層に教養溢れる人間が多かったのは事実です。今では考えられないことですが、拝金主義と実利主義がもたらした弊害で日本がそのような教養溢れる人材を失ったことで、日本が衰退しているとも言えそうです。

 日本ではどうやら意思決定の意識が低く、意思決定に必要な知識教養も軽視される傾向が強いと感じます。とりあえず、儲けるための方法論が先行し、ハウツー本が1980年代から急速に売れたのも頷けます。ただ、80年代はまだ、日本の成功を理解するための過去の賢人研究も多くありました。

 今ではそんな記事を掲載していた雑誌もハウツ―本に変わってしまい、本質的な話は姿を消したように見えます。失われた30年、日本人は自信を失い、すぐには役に立たない知識・教養を学ぶことから遠ざかったと見えます。

 ご利益宗教が流行るのも、目の前の利益だけを追求する姑息な商人根性が氾濫したからで、人生そのものを豊かにする、持続可能な発展とは程遠いものです。読書欲が減ったのも、すぐに満足感を得られない普遍的価値追求欲が減退したからだと思います。

 複雑化する世界を前にして、それを理解し、適切な判断を下すためには過去以上の知識や教養が必要なのに、まるで逆の方向に向かっているように見えます。ただ、無知は死の影と言いますが、真理を知ることは意思を持ち、行動の意志に繋がるはずです。意志がないのは無知の状態のままということになります。