昨今の世界各地で発生する戦争は、歴史的に起きた戦争の再現とも言われています。つまり、21世紀の新しいタイプの戦争や対立ではなく、人間が紀元前から繰り広げてきたパターンが基本にあるということです。その基本は異文化に対する無理解と、対立や衝突を回避するアプローチが見つからないことにあります。
ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中に生まれる」とあり、「文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、かつすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果たさなければならない神聖な義務である」とも書かれています。
しかし、残念ながら違いを認め共存する精神を妨げているのが、宗教における価値観がもたらす選民思想や民族主義から生まれる優越思想、領土保有欲です。さらに、自分が持つ価値観を相手に押し付けようとして生まれる支配するか支配されるかの観念は、人間を戦争へと突き動かしています。
SNSの時代だと言い、過去に人類が経験したことのないコミュニケーション革命が起きたはずが、実は人類は開けてはいけないパンドラ(地獄)の箱を置けてしまったかのように批判し合い、傷つけ合い、殺し合う日常が続いているように見えます。
異文化理解の基本は、まず、相手に対する偏見や固定観念を持たないこと、自分で持つ価値観で相手を見ようとしないこと、相手を理解するためのデータとファクトを確認し、ロジカルに理解する努力を
怠らないことです。それでも異文化を理解するのは困難です。
何千年も異なる風土や歴史の中を生きてきた人間が共生するのは指南の業です。ハイコンテクストの日本人は、相手を理解するスキルが高いとは言えません。理由は極端な違いがないことがハイコンテクストの文化をもたらしているからです。それに異なるものを排除する慣習もあります。
40年以上、朝鮮半島を取材してきた専門家が「朝鮮は日本人の常識では到底理解できない」といったのは印象的です。日本は明治維新以降、大量の西洋文明を受容しましたが、戦後、アメリカが日本占領下で試みた日本のキリスト教化は実らず、ついぞキリスト教は受容しませんでした。
西洋先進国が武力で支配し、キリスト教を広める方法は、日本には通じなかったことは、日本人の血に流れる価値観が拒んだというしかありません。日本は自由と民主主義を信じる点で西側諸国に属すると言いますが、G7で唯一のキリスト教的価値観を持たない国です。
ただ、キリスト教の世俗化が止まらず、社会は崩壊の危機にあるため、日本をキリスト教化する説得力はなくなっているのも事実です。
ダイバーシティの利点は、違う視点が提示されることで、それまで気づかなかったことに気づくことです。ビジネスにとって気づきは非常に重要なことという意味で、ダイバーシティ・マネジメントは極めて重要です。あらゆるものが気づきによって改善、改革されていることから考えると有効であることは否定できません。
ただ、長い歴史を持つ日本で培われてきた目には見えない、明文化もされていない伝統文化を、ダイバーシティが破壊するリスクもあります。例えば成果主義に象徴されるハーバードビジネススクールが教える欧米文化に根差したビジネス理論が持ち込まれた1990年代、様々な副作用が起きました。
気づいたからといって、改善するには慎重さも必要です。今ではグローバルマネジメントで、相手の文化をリスペクトするのは基本中の基本です。日本に左翼思想が定着しなかったのも、相手を徹底批判し、排除する彼らのアプローチは日本人のような支え合い、共存を最優先する国では拒否反応が起きるのは当然です。
ただ、ダイバーシティが何でも受け入れるというふうに解釈されるのは、間違っています。それは善悪の価値観を持たないことを意味し、それでは生きる価値ががなくなります。つまり、パンドラの箱を開けただけで、待っているのはカタストロフィーです。
重要なことは異文化がもたらす気づきを、どう役立てるかです。過渡期にある日本では、多くの改革が必要な時期ですが、一歩間違えれば、過去の歴史から学べば、大混乱をきたす可能性もあります。それを避けるために精神、明確なヴィジョンが今必要なのだと思います。
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