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 人質解放の1週間の休戦を経て、イスラエル軍はパレスチナ自治区ガザに対する総攻撃を再開し、ガザは再び地獄絵と化しています。ハマスせん滅を大義とするイスラエル、ユダヤ人国家せん滅を主張する今回の戦争で勝者を見つけ出すには、どちらかが敗北を認めるしかない状況です。

 所詮、国家対テロ組織の戦いで、勝敗は見えているはずなのに、出口は見えていません。ウクライナ紛争も圧倒的戦力を持つ軍事大国、ロシアが弱小国ウクライナに軍事侵攻し、2年近くも戦争が続いています。これら2つの戦争当時国は、弱小者側には強靭な信念と支援する国々が存在しているのが現実です。

 イスラエル・ハマス戦争では、一般市民犠牲者が増加する一方で死者はパレスチナ側に集中しており、国際世論は親パレスチナに傾いており、イスラエル政府に対する理解は弱まりつつあります。それでもハマスを悪とし、強烈にイスラエルを支持する側は、一般市民の犠牲やむなしとの考えです。

 中東情勢は政治、経済、外交、宗教が複雑に絡み合ったもので、正確に事態を把握するのは非常に困難です。特にイスラエル、パレスチナ双方がプロパガンダ合戦を繰り広げていることが、実態把握を余計に困難にしています。特に宗教的正義は、歴史上、戦争の残虐化を産んだ過去があり、人々の心深くに根差した信念だからこそ、誰も制御できなくなる危険をはらんでいます。

 その宗教的信念も単純ではなく、例えば、今、イスラエルのネタニヤフ政権で影響力を持つユダヤ超正統派勢力は、実は過去にはイスラエル建国に反対した経緯があります。

 宗教の本質は教義に従った理想を追い求めることです。特に日本人には縁遠い1神教には絶対的価値観、ヴィジョンを持つ神が存在しています。一方、政治は現実優先なので、宗教的理想主義からは遠く、特に人々の信念の多様性を認める民主主義世界では世俗優先です。

 そのため、人々の価値観を規定する宗教は、民主主義世界では多くの場合、妥協を強いられています。LGBTQの容認などは、その典型で、LGBTQ禁止のイスラム教圏では厳しく罰せられています。

 イスラエルは国家建設では建前上、独立宣言に世界に散在し、多様な考えを持つたユダヤ人を念頭に「宗教、人種、性別に関わらずすべての国民が平等な社会的、政治的権利」を持つとしながらも「ユダヤ人国家の建国」を掲げており、ユダヤ教、彼らが自覚するユダヤ民族(人種ではない)の民族主義が複雑に存在しています。

 超正統派のユダヤ人が建国に反対した理由は、きわめて宗教的理由で、ユダヤ教はイエス・キリストを予言者の1人として認めつつ、救世主として認めず、救世主を待つ宗教です。エルサレムにある黄金の門は、救世主がそこを通って現れると信じているからです。

 私もエルサレムの取材でイスラエル政府所属のガイドから、そのように説明を受け、黄金の門の前に拡がる墓は、救世主の出現とともに霊が復活すると信じられ、選ばれた者だけがその墓に入ることができると受け、ガイドの家族もそこに眠っていることを自慢していました。

 国家建設に反対する根拠の一つは救世主が来ていない段階で国家建設するのは間違いということです。当然、国家を築けば、多様な価値観のユダヤ人、さらにはユダヤ教を認めないパレスチナ人と共存することになり、それもユダヤの教えに反するとして、最も懸念したのは世俗化により、ユダヤ教の教えが揺らぐことでした。

 今のハマスせん滅戦争で、よく引き合いに出される報復的正義「目には目を歯には歯を」は、ユダヤ教の教義からすれば、簡単に正当化できる考えでないことが分かります。報復の実行は、モーセの十戒にある「人を殺してはならない」との整合性が厳しく求められ、制限されています。

 つまり、イスラエル政府のハマス及びガザ一般住民の殺害は、ユダヤ教学者の中には一線を越えた行為とする見解もあるということです。つまり、国家を持ったことで世俗化が進み、時には政治利用され、国民を戦争に駆り立てているともいえるわけです。

 世界に散在するユダヤ人の中には「国家など持つべきではない。静かに救世主を待つべき」という人たちがいるということです。この視点はややもすれば忘れられがちです。