
今月7日、フランスのマクロン大統領は、最近仏国内で高まる反ユダヤ主義に政府として正式に反対し、取り締まりを強化したことに感謝するため、在仏ユダヤ教団から感謝状を受け取りました。ただ、それがエリゼ宮(大統領府)内で行われ、ユダヤ教の伝統儀式もラビがしたことが厳しい批判を受けました。
英BBCは「世俗主義が宗教になっているフランス」と皮肉りましたが、フランス大革命でカトリック教会の影響を退けて以来、政治権力に宗教が入ってくることを極力排除するライシテ(政教分離の世俗主義)を徹底してきたフランスでのマクロン批判は当然の流れのようにも見えます。
イスラエル、アメリカに次ぐ、世界で3番目にユダヤ人約60万人が住むフランスでの反ユダヤ主義運動は社会不安の火種です。しかし、同時に反ユダヤ運動の旗振り役でもある在仏イスラム教徒も欧州最大規模の500万人で無視できない存在ですが、ユダヤ教に比べれば軽視されています。
マクロン氏はライシテの原則を犯していないと批判に反論しました。実はフランスの事情も複雑です。理由は宗教をアヘンとする共産主義者や無神論者、無政府主義者が、ライシテを宗教化している事情もあるからです。彼らは人間が信仰を持つことそのものを否定しています。
ただ、ライシテというなら、いかなる宗教からも政治的影響を受けてはならず、政府も偏った肩入れは許されないのが原則です。しかし、宗教は国民の良心を育てるという意味で主権在民の民主主義国家には欠かせないものです。だから民主主義国家の多くは宗教活動を保護しています。
しかし、一定の宗教が政治権力に入り込み、主権を支配し、世論誘導するのは民主主義の原則に違反します。あくまで国家と宗教の関係は、国民の良心を育て道徳的行動と国益や社会秩序を保つことへの貢献目的以外では共存の道はないはずです。それを逸脱する行為で信教の自由を主張する権利はないでしょう。
どの国でも政教分離は頭の痛い問題です。ユダヤ人国家建設を国是としたイスラエルがイスラム教の多いパレスチナ自治区のガザでテロ組織殲滅の大義名分の下で一般市民の虐殺を正当化していることにも、深く宗教が関わっています。
歴史的経験として政治に宗教を持ち込まないことを教訓とする西側諸国は政教分離に敏感です。アメリカでも宗教指導者や団体の政治への影響は少なからずあります。
宗教は信じる教義を絶対的価値観、世界観とする一方、異なる宗教への排斥を厳しく行った歴史的過去があり、対立を生む火種の一つという認識が、多くの民主主義国家に定着しています。特に1神教の歴史は血で血を洗う戦争に彩られています。民族主義と合わせ、政治を不安定化させる要因です。
フランスの「世俗主義」の考えは、国家とローマ・カトリック教会(ヴァチカン)の間の長年にわたる闘争を経て、1905年のフランスの法律に盛り込まれました。
しかし、1990年代、新興宗教を抑え込むための反セクト法制定の議論で、私の友人のカトリック系政治家の中に「1人の人間の心の中で自分の宗教的信念と政治信念を分離するのは不可能だ」という意見もあり、病的な政教分離は宗教弾圧に他ならないという意見も聞かれました。
私は、まずは無宗教や無神論も自由とはいえ、彼らが信仰者を尊重せず、宗教そのものを排除しようとする姿勢は厳しく批判されるべきだと考えています。宗教を消してしまいたい動機を持つ彼らはライシテの議論に加わる資格はないと思うからです。
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