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 私の郷里、別府にある立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明学長(今年いっぱいで退官)は、70冊を超える著書の中で、自然界の生物は生存期間の9割以上のエネルギーを次世代を確保するため、産み育てるために費やしているのに、人間はそれを軽視していると指摘しています。

 日本を含め、先進国は今、少子化に苦しみ、出生率が1人を切った韓国(先進国とは言えないが)などは、絶滅危惧民族とまで指摘されています。

 少子化には様々な原因があるが、多くは高学歴社会の中で教育費の高騰もあって、子供を少なく生んでいい教育を受けさせることを優先する傾向が半世紀以上続いてきたことが影響しているのは確かです。では、なぜ、高学歴がいいかといえば、社会に知のピラミッドがあり、誰もが上に上りたいと思ったからです。

 より上に行けた人を日本では勝ち組といい、アメリカでは成功者と呼んでいます。人間の体でいえば、誰もが全身に命令する頭になりたいと思う一方、手足になりたい人は減っていうということです。1度しかない人生、手足の人生は価値が薄いと感じるのは当然でしょう。

 それに支配する側か、支配される側かといえば、支配される側を好む人は少ないでしょう。下より上の方がいいと思うのも当然でしょう。ただ、人間の体でいえば、自律神経もあり、体を支える筋肉、栄養を送り込む血管など非常に多くの器官が支え合って生存が成り立っているのも事実です。

 私は高校の国語教師の息子として育ち、両親は二人とも知の崇拝者でした。本は岩波、テレビはNHK、新聞は朝日という典型的なリベラル派だった両親に育てられながら、知の優位性に大きな疑問を持って育ちました。特に知が生む差別、優劣は、とても嫌なものでした。

 良かった点は膨大な本が家にあったので、小学生からの世界の名作文学を読みふけり、高校に入るころには西田哲学などの本を読む機会があったことですが、高校生で受験勉強するより、大学の教養課程で学ぶような書籍を読みふけったことが自分の基礎になっているように思います。

 しかし、知の崇拝者である両親は「子供は少なく生んで賢い人間に育てる」という信念を持っていたことで、核家族で育ったことはまったくいいとは思っていません。たまたま強烈なカトリックの信者の家庭に育ち、7人兄弟の長女だったフランス人と結婚したことで、別の世界が開かれたのは自分にとっては幸運でした。

 神は子供の多い家庭を祝福するという考えは、近代社会には存在していない考えですが、今振り返ると近代以降の人間の知の信奉社会が結果的に少子化をもたらしたことを考えると、人間に与えられた自然界の摂理から、大きく遠ざかったように感じます。

 昔、作家の辻邦夫さん(故人)から聞いた話ですが、彼は「男は社会的生き物で社会に大きく左右されるが、女性は太古の時代から子を産む性として変わらない営みを続けてきたおかげで、物事の本質を見る感性は男性より持っている」と言いました。

 知を崇拝し、拝金主義に走る現代社会は、結果的に少子化をもたらし、滅亡の危機にあるというのは皮肉なことです。誰もが今、生活の質を高めたいともがいている時代、その質とは決して物質的なものではないはずです。私個人はすべての存在が互いに支え合う自然界の摂理に学ぶものは大きいと考えています。