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 日本の自民党の派閥解消の動きは、過去の日本政治を根幹から変える契機になるかが問われていると言えそうです。政治家が収支報告書への記載のいらない金を必要としていた現実は、日本人がいかに金に左右される人間かを物語ったものと言えます。

 「その国の国民以上のレベルの政治家は生まれない」という有名な言葉があるように、政治家は選挙で有権者によって選ばれ、多数派を占める有権者の要求が反映されるわけですから、政治家はいわば国民の鏡です。金にまみれた政治家を見れば、有権者自身を見ているようなものと言えるでしょう。

 その意味で政治家を批判するのは偽善と言えるかもしれませんし、民主主義がお金と圧力団体で動いているのも、政治家を通して金儲けを有利に進めたい人々が多数を占めているからとも言えます。個人や団体が議員個人に献金ができた時代から、様々な規制が敷かれましたが、法の網を潜り抜けたのは政治家のせいだけではないでしょう。

 政治家に金を渡して利益を得たい個人や企業がいるからこそ、政治家は金を受け取り、政治家経由の接待を望んだから、金をばらまくことで選挙で勝つ慣習は簡単には変えられないでしょう。日本においての政治家の政治力とは権力と金によって物事を動かすことを意味し、そう思い込んでいたのは政治家だけではないでしょう。

 一方、人間にはいろいろな属性があり、われわれは独立した市民であると同時にサラリーマンだったら企業に帰属し、様々な団体だったら、その団体に帰属する部分もあります。選挙で圧倒的なのは、帰属先の組織票というのも、日本人が組織への帰属意識が世界的にも非常に強いからに他なりません。

 組織への帰属の前に、独立した個人、市民という感覚が希薄な民主主義には適さない風土を持つ国です。会社や組合が指示する候補者に投票するとか、とにかく徒党を組むことが好きな村社会の日本では政党や派閥は絶対不可欠です。

 アメリカでは民主党支持が多いハイテク産業でも、会社の左寄りを批判する保守的な社員もいます。組織から圧力が加わったり、人事に影響があれば、すぐに社会問題になります。

 日本以外の先進国では、個人の選択の自由は民主主義のコアな価値観と信じられており、民主主義の基本と見られています。組織や集団が選挙に圧倒的影響を及ぼす部分は卒業しており、だからこそ欧米では中間層が選挙を左右する現象が起きているわけです。

 寄らば大樹の陰、長いものに巻かれろ、出る杭は打たれろが当たり前だった日本は、団結が必要な農村社会であり、対立よりも和を尊ぶために結果として派閥も機能してきたと言えるでしょう。しかし、その組織には正義や自浄作用は働かず、正義感で政治家になっても、数カ月から数年で政治的信念は消え、権力と金に溺れる政治家が大半という事でした。

 結果的に金と権力は車の両輪として、日本政治を大きく左右してきたため、その集団を旨くさばくのが政治と勘違いする政治家が大物政治家と言われ、そこから抜け出せないくなったのが、結果的に日本の衰退に繋がったと私は見ています。

 この結果は政治家が招いたというより、日本人全体の生きる上での価値観が招いたもので、そのリセットなしに日本の再起はありえないと考えます。

 ウクライナやガザの瓦礫の中で苦しむ人々へのインタビューで「今、何が必要か」との質問に「お金や物」と答える人はいません。彼の答えは「平和」だけです。お金も物も本質的な問題解決ではないからです。その本質を日本人は忘れてしまったようです。

 日本人である以上、自民党だけの問題とは思えません。野党からも国民が納得する主張を正々堂々と行う議員は稀で、常に党を気にしながら発言するため、個人の主張に関心が集まることはありません。

 組織や集団から切り離された一人の人間として、自分の考え方や意見を持ち、同時に社会に貢献する生き方に切り替えられれば、日本は先進国になれるかもしれません。大きな岐路に立っていることだけは確かと言えそうです。