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 コロナ禍明けのインバウンドが進む日本で、鍵を握る一つは食文化にあるのは間違いありません。この20年間、世界で最も外国人旅行者を集めるフランスでも、世界遺産という観光資産と同時に人を集めているのは食文化です。私の長年の経験でフランスを旅する観光客の多くは食べることに高い満足を示しています。

 日本の強みの一つは和食の世界的普及です。健康ブームの追い風の中、「和食は健康にいい」という認識は、すっかり定着しているおかげもあって、男女、年齢問わず、和食の評価は定着しています。グルメの国フランスのパリ首都圏の和食レストランは1200軒を超えています。

 それを支えているのが和食の創造性です。日本人の強みは海外から輸入されてきたものを含め、ただコピーするだけでなく、そこから展開する創造的思考錯誤が、オリジナル以上のクオリティを生み出せる能力です。その進化させる能力こそ、日本の発展の源泉でした。

 無論、今求められているのはゼロベース思考です。「無から有を生み出す創造性」です。いわゆるアート思考のスキルが問われているわけです。コピーからの創意工夫ではなく、普遍性を持った人間の生活の質向上に圧倒的に役に立つ製品やサービスを生み出す力です。

 そのためには自分を深堀する必要があります。コピーしたもののアレンジだけでは長続きしません。実は今、美術市場で非常に安定した評価を得て不動の価値といわれる印象派絵画は、西洋美術が職人から芸術家に飛躍した先進性が評価されているわけですが、そのきっかけが日本美術にあったことは知られていません。

 浮世絵などの日本美術は、新しい様式を模索していたフランスに集まる才能豊かな芸術たちに大きなヒントを与えてだけでなく、西洋美術を根底から変えてしまいました。

 つまり、コピーしたものをアレンジしたレベルでなく、個人の個性を前面に出す新たな芸術を生み出したわけです。

 技術面でいえば、500年前にダヴィンチが確立した空気遠近法や輪郭を描かない技法は究極までを自然に近づけるもので、500年間疑問を持つ者はいませんでした。

 一方、浮世絵は輪郭で成り立つ技法で、輪郭で立体のフォルムを表現しており、西洋的遠近法なしに遠くの富士山、近くの草花を見事に描き出しました。さらに西洋美術が軽蔑していた装飾性も備えていました。

 皮肉なことに明治維新以降、西洋文化が大量流入した日本で日本美術が飛躍的な進化を遂げることはありませんでした。近代日本美術が世界に大きなインパクトを与えることはなく、ごく少数の日本人美術家が世界の美術市場で認められているだけです。

 原因の一つは敗戦後に日本が選んだ個性を軽視した画一教育による企業戦士を排出するシステムにありました。パリのように世界中から才能溢れる芸術家が集まる土壌は育ちませんでした。つまり、教育手法が集団教育しかなく、個別教育は置き去りにされ、アート思考が育つ環境は無視されました。

 それでも商売のために、他と差別化する必要に迫られ、特に創意工夫を繰り返したおかげで、和食は世界で魅力を放っています。 

 もともと優れた舌を持つ日本人は、食文化の追求は世界的に見て有利です。あまり知られていない話ですが、食べることは宗教において制限されることが多く、宗教が食文化の発展を妨げています。しかし、日本の仏教は動物を食べない教えに従う僧侶の食生活で精進料理が生まれ、今ではビーガンの間で世界的に注目されています。

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     私のアート生活、最近描いたパステル画(見たものを見たままに)

 私は今までフランスの優れたシェフたちにインタビューしてきましたが、彼らの驚きは通常食文化をけん引するのは贅沢を追求する貴族文化ですが、日本では大衆文化も食文化の進化に大いに貢献していることだと言っています。彼らの分析では日本人の味覚の平均値が高いことを挙げています。

 私の好きな言葉に「人類の叡智」というのがあります。その集まる「場」を作ることも重要です。1990年代初頭のエコール・ド・パリの時代のパリがそうでした。それはアメリカに移り、その後、世界に拡散し、特定の場ではなくなりました。今はネット上なのかもしれません。

 異文化の人々が集まったパリから新しい創造のエネルギーが発揮されたのは、問われるゼロベースの創造を支えた重要な要素です。アート思考の養成に異文化体験が貢献することは、ハッキリしています。

 まずは、自分の生活の質を高めるための創意工夫から取り組むことで、アート思考を高め、結果的にビジネスにも反映させることに繋げていくことが重要かと思われます。