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    まだ、未完成の最近描いた冬の風景と雉

 最近、気づいたことの一つに全ては二律背反によって成り立っているというのがあります。ユニークな発想が求められる現代社会ですが、新しい価値を創造する大前提は自由であることと言われています。フロリダのディズニーランドで聞いた話は、とても興味深いものでした。

 それは、とてもクリエイティブで有能な人材を雇い、次の集客力のあるテーマを生み出すために、10人くらいに1億円づつ渡し、1年間に1つ、アイディアをを出させるというもので、その間、一切自由で拘束しないという事でした。今は違ったやり方なのでしょうが、アメリカらしい発想です。

 しかし、実は自由だけでは、新しいアイディアは生まれません。例えば昔の芸術家は職人で、依頼主からの仕事を工房で分担して制作していました。ダヴィンチは自分の腕を磨きたければ、優秀な仲間の中で仕事するのが最も効果的だと書き残しています。

 では、職人時代の芸術家に自由はあったのかといえば、様々な制約のなかで仕事をさせられていたわけです。それは自由とは程遠いものです。そもそも依頼主に喜んでもらえなければ、仕事を続けられません。画材も自由には使えず、彼らが芸術家と呼ばれだしたのは19世紀後半でした。

 人間が絵を描く行為は、約7万年前には発見され。約4万年前のフランスのラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟に見られます。カメラができ、スマホで動画が簡単に残せるデジタルな時代でも、人間が絵を描く行為は変わっていません。

 絵を描く行為は、まさに自由と禁欲が同居しています。白い紙の上に何を描くは自由です。他の絵を真似する必要はありません。一方で二次元の平面に描くことは、そもそも制約を受けています。さらにドローイングとなると白黒という画材の制約も受けます。

 私はこの7年ほど、パステル画を描いていますが、最初は10色と自分で決めて禁欲的に取り組んでいました。ドローイングの延長線上で、何ができるか試したかったからです。40年前、アトリエで四つ切の白い画用紙が渡され、自分で考えて油絵を描くテーマが与えられたことがありました。

 つまり、クリエイティブというのは、自由がある一方、制約があることが新しい物を生み出す重要な要素となるという事です。制約のないものは一つも自然界にはありません。一見矛盾する自由と禁欲は
われわれの心を解き放つ鍵かもしれません。

 貧しいから何もできないとか、欲しいものが手に入らないからいいアイディアが出せないということはないという事です。そこで注目なのがドローイングです。ダヴィンチのノートは有名ですが、自分の周りの存在物を注意深く観察した記録から、兵器のアイディアまでドローイングで描き残されています。

 ここではドローイング、デッサン、スケッチの違いについての説明は省きますが、ドローイングは、芸術的な表現だけでなく、視覚的なコミュニケーションの手段としても活用されています。絵画、イラスト、アニメーション、グラフィックデザイン、建築、工学、さらにはビジネス構想など広い範囲で重要な役割を果たしています。

 さらにデジタル・デトックスにも有効と最近指摘されています。「絵を描くことは再び人気を博しており、特にパンデミック中のロックダウン以降、その治療効果とそれが生み出す流れの感覚が高く評価されている」と英BBCは指摘しています。

 孤立感に苦しんだコロナ禍で「もし、人々が他の人間と一緒にいられないなら、代わりに彼らを描くことで、それが精神的な健康の役立つことが証明された」とBBCは続けます。絵を描く行為は「世界や自分自身と触れ合うことができ、社会的対立、人間性、感情など、ものの見方を変えることができる。それは感情の範囲を広げることができ、それは非常に奥深いものだ」と書いています。

 上手か下手かの問題ではなく、平面に絵を描く行為には普遍性がありそうです。事実、私自身、絵を描くことで心が解放される実感は常にあります。