日本の一部上場企業のスペイン駐在員で、今はパリで運送業を営むAさんが最近、日本へ帰国したという話を聞きました。Aさんは、スペイン駐在中に、ヨーロッパがとても気に入り、生涯、大企業のサラリーマンを続けるより、空気の合うヨーロッパで起業しようと考えました。
時は、日本のバブル経済が崩壊し、暗黒の10年に突入して先が見えない時期でもあったので、チャンスと感じたようです。ビジネスモデルは、自分の経験から生まれることが多いわけですが、彼は日本人ビジネスマンがヨーロッパで、運転手付きの車をビジネスや観光で利用することに目をつけ、エスコート付きのハイヤーのサービスをヨーロッパ最大の観光地パリで始めました。
自分が利用する側から利用される側に変わったわけですが、当初は順調と思われた事業も、車を増やし、運転手を雇うようになってから、経営が苦しくなりました。日本の経済もますます厳しくなり、時代は中国やインドへの投資に急速に動いている時代に入っていました。
パリに引っ越してきた当時は、駐在員感覚で16区の高給住宅地のアパートに住んでいましたが、家賃が払えず、結局、20区の安いアパートに引っ越しました。生活が窮地に追い込まれる中、ビジネスを初めて7年目に、最初は理解を示していた妻が音を上げ、子供を連れて日本に帰国してしまいました。
結局、1人住まいの安アパートで、細々と仕事をしていましたが、最近は、あれほど好きだったヨーロッパに対して悪態をつく毎日だったようです。最初は自由な雰囲気や美しい街並み、郊外の豊かな自然やおいしい食べ物に魅せられていましたが、「どこまでいってもフランス人にはなれない」が口癖でした。
私の従弟も、山一證券のロンドン支社にいた10数年前、アパートを数軒買って、日本人駐在家庭に貸し、左うちわの生活をしたいと考えていた時期がありました。自分を含め、日本人駐在員が70万円以上の家賃の高給アパートに住んでいることに目をつけたわけですが、今では脱サラしなくてよかったと言っています。
無論、脱サラしてヨーロッパで成功した例も多少ありますが、非常に少ないと言えます。異国の地で成功することは、生易しいことではないということです。