150707104232-world-top-10-cities--jerusalem

 今から六年ほど前、イスラエル情勢が悪化した時、フランス在住のユダヤ人のイスラエルへの移住の数が上昇したことがありました。常識的に考えれば、イスラエルでインティファーダ、自爆テロが起きれば、そこを脱出することを考えるのが普通ですが、その反対の現象が起きて驚かされました。

 その後も、前年を上回る在仏ユダヤ人がイスラエルに移住する姿を見て、彼らの祖国への思いが尋常でないことを悟らされました。イスラエル人が殺害され、人口が減るのをくい止めるために、彼らは移住しているわけですが、改めて祖国を失って彷徨った数千年の時が、祖国への思いを強烈なものにしたことを思い知らされました。

 実は私の母も国ない状態で青春時代を過ごした経験を持っています。満州・大連から敗戦で引き上げる時、父親の仕事の関係で、戦後の数年を大連で過ごすことになった経験があります。中国人によく物を盗まれたそうですが、そんな時に訴えていくところもなく、国の守りのない状態の恐怖を味わい、国があることのありがたさを思い知らされたそうです。

 ユダヤ人は、それが数千年も続いたわけだから、国を再び失う恐怖感から、なりふり構わず、建設した祖国を守ろうという態度に出ているのもうなづけます。ただ、残念なことに彼らの排他的な選民意識と、迫害されたことへの怨念が、多くの場合、マイナスに働いています。 

 湾岸戦争の時にイスラエル政府に招かれ、イスラエル全土を取材したことがあります。ゴラン高原を訪れた時、彼らが誇るゴランワインの醸造所を訪れましたが、ユダヤ人でない私の前で、「これは世界一神聖なワインだ。なぜなら、ぶどうからビン詰めまで、選民であるユダヤ人しか手に触れてないからで、製造過程で異邦人が触れたら、その場で廃棄している」という説明を受けました。

 彼らの、この独善的感覚こそ、差別的で傲慢な態度を生み出すのではと、その時思いました。悪いことは全て異教徒のせいという責任転嫁のメンタリティにも驚かされます。彼らは今後、どうなるのでしょうか。