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◀「牛」アレクサンダー・カルダー

 

 動く彫刻「モビール」の発明者として知られるアメリカの彫刻家、アレクサンダー・カルダーのパリ滞在期間に焦点を当てた「アレクサンダー・カルダーーパリ時代」展が、ポンピドゥー・センターの国立現代美術館で開催されています。

 カルダーの鉄のモニュメンタルな巨大彫刻は、シカゴを初め、多くの場所で見ることができますが、カルダーがパリとどれほど深い因縁を持っているかは知らない人も少なくないでしょう。彼がパリにいたのは、第1次世界大戦後の1926年から33年で、当時はパリの有名人でした。

 アメリカ人のカルダーが機械工学を学んだ後、パリに留学し、アカデミー・ド・ラ・グラン・ショーミエールでデッサンを学び始めたのは、28歳の時。生活のためにアメリカから持ち込んだ針金や木を使った機械仕掛けのサーカス人形をアレンジし、「カルダーのサーカス」と呼ばれる上演を行い、一機にパリで人気者になったと言われています。

 前衛を好んだ当時のパリの雰囲気の中、ジャン・コクトーもカルダーを絶賛、ユーモラスで機知に富んだ彼の作品は、当時のフランス人には新鮮で、多くの芸術家や詩人、作家の友達もできたと言われています。

 パリは、まさにカルダー芸術の原点を作った地だったわけです。サーカス上演で知り合った芸術家には、マルセル・デュシャン、ジョアン・ミロなどもいて、多くの刺激を受けたことが、後年の彼の作品に厚みを与えたといえるでしょう。1930年にドイツでモンドリアンと出会ったことで、作品は抽象に向かい、彼の作風は確立されていきました。

 展覧会では、パリ時代の若きカルダーが制作した針金を折り曲げて作った小さな動物など精巧にできた玩具から、やがて本物の彫刻作品に変貌していく過程を見ることができます。また、写真でもカルダーを紹介しています。